ケアは生きる力を支える双方向の営み|文・岩永直子

「ケア」という営みについて、各界の著名な方に聞く連載企画『ケアについて、考える。』。第2回は、医療ライターの岩永直子さん。ホスピスでの原点を振り返りつつ、医療と日常の現場で見つけたケアの本質を綴っていただきました。

ケアは生きる力を支える双方向の営み

目次

書いた人

医療ライター 岩永直子
岩永直子

1998年、読売新聞社入社。社会部、医療部を経て2015年にヨミドクター編集長。2017年、BuzzFeed Japanに転職し医療部門を創設。2023年7月より独立し「医療記者、岩永直子のニュースレター」などの媒体で発信。2024年、依存症専門メディア「Addiction Report」を開設し、編集長に就任。

著書『言葉はいのちを救えるか?』(晶文社)、自身のアルバイト経験をつづった『今日もレストランの灯りに』(イースト・プレス)

関心があったのは、治療よりケア

医療記者になろうとしたきっかけは、大学時代、父が重いがんになったことにショックを受け、ホスピスでボランティアをしたことだ。若かった私は、死が怖くてたまらなくなり、いつか死んでしまうのになぜ生きるのかもわからなくなった。死に直面している人がどんな思いでいるのか、周りに何ができるのか知りたい。縁もゆかりもない緩和ケアの世界に飛び込んだ。

通常、ボランティアは、患者や家族とは挨拶程度の関わりしか持たない。しかし、当時、趣味で指圧を習っていた私は、病院の許可を得て患者さんに軽いマッサージをさせてもらっていた。二十歳そこそこの素人のマッサージが症状を軽減できるわけがない。しかし、なぜか喜んでくれる患者さんもいて、繰り返し部屋に呼ばれるようになった。

乳がんが首の骨に転移しベッドから身動きできずに過ごしていた40代の女性は、テニスで鍛えた足が細くなったことを気にしていた。「少しでも鍛えましょうね」と毎回、足の曲げ伸ばし運動も手伝った。

脳にがんが転移した高齢女性は、イワシの梅煮など得意料理のコツを孫のような年齢の私に教えてくれながら手指の先を揉まれるのが好きだった。

脳腫瘍の18歳の男の子は、若かった私が手を握ると「照れますね」と恥ずかしそうな顔をした。そばにいたお母さんは、それを見て笑いながら涙ぐんでいた。

自然と会話が生まれ、遺していく家族への想いや、治らない病気になったつらさを話してくれた人もいた。でも、話の多くは雑談だった。日々の体調や食事の好み、人間関係の愚痴、ニュースやテレビの感想、医療スタッフの噂話。

当たり前だが、死が近いからといって、急に深い会話満載になるわけではない。最初は緊張して接していたこちらが拍子抜けするほど、それまでの人生の延長線上の日常生活が続いていた。

その後、私はそのホスピスで患者や医療者へのインタビューや調査をさせてもらい、「死の恐怖へのケア」をテーマにして卒業論文も書いた。直球の質問を繰り出す拙い調査で、難しい問いの答えが見つかるはずもない。卒業後、私は生と死、そしてケアの現場を取材する職業に就いた。医療記者としての出発点から、私は病気を治す方法よりも、治らない病気になった人をどうケアするかに関心を持ってきたのだ。

日常生活を支えるケア

その後、患者さんや家族の取材を重ねた私は、あのホスピスでの経験を何度も振り返ることになる。

緩和ケア医の新城拓也さんを取材したときは、研修医に患者との接し方について指導するとき、「あなたの悩みや苦しみを聞かせてください」と語りかけるな、と指導していると聞いた。

「まず、入院した患者さんにはこの部屋の環境はどうかと聞けと言います。この部屋はうるさかったか、明るかったか、暗かったか、寝心地はどうか、食事はどうか。もし条件が整ったら、向こうから何を感じているか、悩んでいるか話してくるかもしれないけれど、その日を待つ。それよりもまず、患者さんに居心地がいいか聞き、ベッドの位置一つ変えるだけでも十分心のケアになります」

膵臓がんになった夫に科学的根拠のない怪しい免疫療法を受けさせた過去がある石森恵美さんを取材したときは、「効果はない治療だが、後悔はしていない」という言葉を聞いた。

科学的根拠のある治療を提供していた総合病院の医師は、食事療法についての相談を突き放し、外泊を求める家族に「外泊して何が楽しいのか」と言い放った。だが怪しい免疫療法のクリニックの医師やスタッフは、中学校校長だった夫に「次の運動会に出られるよう頑張りましょうね」と励ました。食事療法についてじっくりと耳を傾け、食生活も気遣ってくれた。

石森さんは、科学的根拠のないその治療は否定しつつも、こう語った。

「こうした怪しい免疫療法を批判する医師は、『そんなお金があったら世界一周旅行でもしたらいい』とよくおっしゃるのですが、患者や家族が求めているのは、普段と変わらない日常が続くこと。免疫療法のクリニックは医師から受付の女性まで皆、夫の日常を支えるという姿勢を見せてくれました」

母がALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、12年間にわたって介護してきた川口有美子さんは、今も難病患者が地域で暮らせるよう支援活動を続けている。取材した際、日常の細やかなケアが、患者の生きようとする気持ちを生み出すと語ってくれた。

「死にたいと言っていても、『ここが痒い』とか『ここが痛い』など、日常の欲望は続くんです。人間はもちろん死ぬときは死ぬし、それは止めようがない。でも、死ぬまでケアはできる。それができる限り、今日も明日も生きよう、となっていく」

ホスピスに通っていた大学時代、私は、死に対する恐怖や不安について専門的なカウンセリングや傾聴が患者の心をケアするのだと思っていた。もちろん、それも重要だし、とくに精神的な危機に陥ったときは、専門家の介入が必要になるだろう。

だが、記者となってさまざまなケアの現場を取材していると、むしろ患者を日々支えるのは、その時々に直面する不快を和らげ、その人が日常生活を続けることを支える細やかな手助けであることに気がついた。ケアは専門家やベテランでないとできないものではない。「あなたを心地よくしたい、楽にしたい」という気持ちさえあれば誰でもできる、具体的な働きかけなのではないかと思うようになった。

大学時代の私は、会うたびに体調が悪くなっていく患者さんに対して何もできないことを申し訳なく思っていた。でも、もしかしたら、なんでもない雑談をしながら患者さんの望みに合わせて体をさすっていたその時間もささやかなケアになっていたのかもしれない。また悩みを持ってボランティアに入った私は、死ぬまで生きることを身をもって教えてくれ、生涯の取材テーマを授けてくれた患者さんから、まさにケアを受け続けているのかもしれない。そんな風に振り返られるようになった。

ケアには何が必要か?

ケアについて考えるとき、私は筋ジストロフィーがある詩人である岩崎航さん(49)のことが思い浮かぶ。

彼は人工呼吸器をつけた20代前半から4年もの間、ストレスからくる吐き気地獄に苦しめられた経験がある。吐き気止めもまったく効かない中、そばにいて黙って背中をさすり続けてくれたのが、母の博子さんと父の武宏さんだった。

この経験を、岩崎さんは五行歌でこう書いた。

何も言わずに
さすってくれた
祈りを込めて
さすってくれた
決して 忘れない

『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)より

そしてこのとき、父母から受け取った気持ちが、生きる気力を復活させたことを書く岩崎さんの文章はとても感動的だ。

 延々といつまで続くのか全く先の見えない、まさに桎梏としか言いようのない吐き気地獄の中で、父と母の手は、僕の身体に隠れている病魔を断じて叩き出すかのように、その背中をさすり続けてくれた。

 それは、吐き気の緩和ということを遥かに超えて、僕の中に残っていた埋み火をいつしか蘇生させていった。

『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)より

息子が苦しんでいる姿を見るのは、親としてとてもつらいことだろう。代わりたくても代わってやれない。少しでも楽になるように、何かしてやりたい。

そんな親の思いを岩崎さんは「祈り」と表現した。岩崎さんはこの「祈り」という言葉について、こう語ったことがある。

「魂の奥底から思ったことは、受け取った者の心を動かし、何かが動き出す。それは響き合うということだと思います」

『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』より

叶わないかもしれないけれど、相手が幸せになるように、心の底から願う。そんな気持ちが具体的な言葉や行為によって相手に伝わったときに、ケアになるのではないだろうか。

相手をきめ細かく観察すること

ただ、そんな親密な関係だけにケアを限ってしまうと、ケアを職業とする人にも、常にそんな「祈り」を求めてしまうことになる。愛する家族や恋人、友人であれば、自然と「あなたを幸せにしたい。心地よくしたい」という気持ちが生まれるだろう。だが、仕事として他人をケアする人に、常にそれを求めることは難しい。

逆に「ケアには、心理的、感情的な寄り添いがなくてもいい。寄り添われるのが嫌な人もいる」と話すのは、前述の川口さんだ。

「家族の場合は愛情や思い出があるので、『うちの母はこれが好きだったね』と思い出しながらケアできるけれど、ヘルパーさんはそういう歴史がない。だから最初は、利用者の気持ちなんて読み取れない。でも半年や1年やっていくうちに、だんだんわかるようになってくる」と言う。

難病患者を介護するヘルパーを育てる研修もおこなっている川口さんは、他人であるプロが質の高いケアができることを知っている。決め手となるのは、相手を観察する手段の豊かさだ。

「介護者は観察する力がすごい。言葉で伝えられない患者を五感で見るようになり、寝ているときも耳は起きていて、呼吸器の音の変化も、痰が絡んでくるとガサガサいい出す音も敏感にキャッチする体になる。顔色の微妙な変化に気づき、肌を触ると皮膚の内側の感じや表情もわかるようになります。0.001ミリの違いを見分けることができる板金職人のような世界です」

脳死状態になって生まれた娘、帆花さんを18年間育てている西村理佐さんをインタビューしたときも、「離れたところにいて誰かと話しているときも、意識は常に帆花に向いています」と話していた。

体温や顔色、肌の触感、呼吸器の音、サチュレーションモニター(血中の酸素濃度を測る機器)のアラーム。意思疎通ができず、そもそも意識はあるのか他人から疑われながら、西村さんは様々な経路で娘の「声なき声」を聞き取る。それに基づいて娘を生かすために手を動かす。ヘルパーも同様の観察と読み取りをしていた。

「試行錯誤するうちに、あの子なりの伝え方があると経験の中でわかってきたのです。それで私たちのコミュニケーションは成り立っています」

良かれと思って本人が望んでもいないことをしてあげても、それはケアにはならない。相手が求めるケアを提供するためには、相手への関心と観察のきめ細やかさが必要になる。

日常に溢れるケア

もちろんケアは医療や介護の現場だけでおこなわれているのではない。前述した緩和ケア医の新城さんは、「ケアは日常に溢れている」と語る。

「こどもを車で送っていく、妻にお茶を入れてあげる、そういうものもすべてケアだと思います。お茶にも相手の好みの温度があり、それに合わせて入れたら気遣われていると感じるでしょう。飲食業だってケアです。たぶん、大事なのは相手に対して関心があるかどうか。料理を通じてお店の人に関心を持たれていると感じたら、客はケアされるんです」

私は医療記者をしながら、レストランでアルバイトもしている。オーナーシェフはいつも「気持ちをこめて作りました」とお客さんに言う。

うちの店は、手作りのブイヨンや発酵調味料などの旨みを重ね、スパイスの香り、酸味や辛味を加えて複雑で濃厚な味わいを出すメニューが多い。

だが、シェフは私が薄味が好きなのを知っていて、私には普段より薄味で出してくれる。トマト好きなお客さんには、カルパッチョに普段は載せていない刻んだミニトマトを載せ、厨房からお客さんの食べる様子を見ては、次の皿を出すタイミングをはかる。

そんなシェフに、「気持ちを込める」とはどういうことか聞くと、こんな答えが返ってきた。

「気持ちが入っている料理は、特別なものが宿る。明らかにこの料理が美味いなと思うとき、味だけでなく作る人の何かが入っているなと感じるんだよ。作るほうは色々考えて、食べる人が喜んでくれるように工夫する。逆に、そういう気持ちがない人が料理を作っても美味しくないと思うよ」

私の行きつけの日本酒の美味しい居酒屋では、カウンターの中で接客する店長が一人ひとりの客の好みを覚えていて、それに合わせた日本酒を何も言わなくても注いでくれる。20年近く通い続けている私はここを「オアシス」と呼んでいるのだが、確かにここで飲むたびに、自分が癒されるのを感じている。

自分が不特定多数の誰かではなく、一個人として大切にされていることを感じるとき、そこにはケアが生まれている。これは他のサービス業や、幅広い人間関係でも同じことが言えるのかもしれない。

ケアは双方向の営み

さらに、ケアは一方通行ではない。ケアしている側もケアされているという言葉をよく聞くことがある。

自身のケアで、相手の苦痛が軽減されたとき、笑顔やほっとした表情を見たとき、ケアする側も喜びややりがいを感じるものだ。私もレストランでは接客担当をしているが、お客さんが喜んでくれたり、「いい時間を過ごせたよ」などと伝えてくれたりすると、給料以上のプレゼントを受け取った気分になる。

前述の川口さんは、重度の障害があり、何もできないように見える人でさえ、そこにその人が存在することで大事な役割を果たしているのだと話す。

「人間は自然に弱い人のところに集まり、手を差し伸べる習性があります。そこで人は癒されたり、あったかい気持ちになったりすることもある。ケアはあらゆる場にあるし、決して一方通行じゃない。ケアしているようで、ケアされることもある双方向の営みです」

人は一人で生まれて、一人で死ぬ絶対的な孤独を抱えて生きている。そして、治療は人が必ず死ぬ存在である以上、いつか敗北する。だが、ケアはどうだろう? 誰かからケアされたと感じたとき、逆に相手にケアする気持ちが届いたとき、自分と相手の間に橋がかかったと感じることがある。その相互関係が繰り返されるうちに、相手の存在は自分の中に棲みつき、たとえ亡くなったとしても自分の人生に温かい影響を与え続けるものだ。

そう考えると、ケアはケアする相手のためだけの行為ではない。ケアし、ケアされる関係は、人を一人ぼっちにしない。学生時代から私が抱いてきた生きる意味、死の恐怖への答えは、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれない。

連載企画『ケアについて、考える。』

医療・看護・介護・育児・地域支援など、多くの分野にまたがっておこなわれる“ケア”。その営みは、単に誰かを助ける行為にとどまらず、自分自身へのまなざしや、他者との関係性そのものを含むものとしても捉えられます。

本連載では、各界の著名な方々に「ケア」について伺い、実体験や想いをつづっていただいています。さまざまな視点を通して、支えることや寄り添うことの意味を改めて考えていきます。

ジョブメドレーで求人を見る

ジョブメドレーに登録する

プロフィール

1998年、読売新聞社入社。社会部、医療部を経て2015年にヨミドクター編集長。2017年、BuzzFeed Japanに転職し医療部門を創設。2023年7月より独立し「医療記者、岩永直子のニュースレター」などの媒体で発信。2024年、依存症専門メディア「Addiction Report」を開設し、編集長に就任。

あなたへのおすすめ記事

妊娠9ヶ月、優先席前で“般若”に救われた日|文・よざひかる

妊娠9ヶ月、優先席前で“般若”に救われた日|文・よざひかる

「ケア」という営みについて、各界の著名な方に聞く連載企画『ケアについて、考える。』。第1回目は、ライターのよざひかるさんに、妊娠後期の思いがけない体験についてつづっていただきました。

コラム 公開日:2025/06/02

ジョブメドレー公式SNS

会員登録がまだの方

  1. 1 事業所からスカウトが届く

  2. 2 希望に合った求人が届く

  3. 3 会員限定機能が利用できる

無料で会員登録をする

LINEでもお問い合わせOK!

ジョブメドレーの専任キャリアサポートにLINEで相談できます! QRコード

@jobmedley

ジョブメドレーへの会員登録がお済みの方はLINEで通知を受け取ったり、ジョブメドレーの使い方について問い合わせたりすることができます。

LINEで問い合わせる

ジョブメドレーへの会員登録がお済みの方はLINEで通知を受け取ったり、ジョブメドレーの使い方について問い合わせたりすることができます。

アイリストの新着求人

職種とキーワードで求人を検索

Btn pagetop