プロフィール
葉真中顕(はまなか・あき)
1976年東京都生まれ。はてなブログ「俺の邪悪なメモ」で罪山罰太郎として作品を投稿。2013年『ロスト・ケア』で第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、作家デビュー。2019年、『凍てつく太陽』で第21回大藪春彦賞、第72回日本推理作家協会賞受賞。社会派ミステリー作家として確かな地位を築いている。
映画『ロストケア』あらすじ
ある日、民家で要介護の高齢者と訪問介護センター長の遺体が発見される。それをきっかけに同センターが抱える要介護度の高い高齢者が40人以上殺害されていたことが判明。捜査線上に浮かんだのは献身的と評判の訪問入浴介護職員・斯波宗典(松山ケンイチ)。正義感の強い検事・大友秀美(長澤まさみ)は斯波を追及するが、斯波は「殺人ではなく救い」と主張する。その真意とは……?
歯車が一つ狂えば、介護に押しつぶされていたかもしれない

──『ロストケア』では、犯人である斯波宗典(しばむねのり)自身の父への介護をはじめ、きれいごとでは済まない家族介護の描写がリアルです。ご自身も介護経験があったのでしょうか?
これは作品執筆のきっかけでもあるんですが、2006年頃、自分が30歳の頃に祖父の介護をすることになったんです。僕たち夫婦と同居していたので自分たちを中心に、時折両親の手も借りながら在宅で介護にあたっていました。
介護は1年ほど、亡くなる半年くらい前から認知症の症状が出てきて、寝たきりになってからは一気に進行しました。突然わけがわからなくなり、まったく覚えのないことで怒り出し、僕の顔を忘れ、妻のことは誰かさえわからない……認知症で人格が変わる。これはショックでした。
その後、祖父の介護経験を買われて遠い親戚の介護を手伝ったこともありました。ただその方は蓄えがあったので、在宅介護ではなく有料老人ホームへの入居をサポートすることに。幸運にも最期まで認知症にならず、「良いところに入れた」と喜んでいました。お葬式にヘルパーさんたちが弔問されていたので穏やかに過ごせて良かったと思う一方、ホームに“入れられなかった”祖父のことも思いましたね。

──斯波を追求する検事・大友秀美は、母が自ら高級老人ホームに入居し介護問題には困らない「安全地帯」にいる人物。非常に対照的な描かれ方です。
作品では意図的に誇張・強調している面もありますが、実際に「ある」現実です。状況の異なる2人の介護を経験して、本当にいろいろなことを想像しました。
祖父の介護は約1年。認知症の悪化とともにしんどさを感じていたのは確かです。今振り返ると、比較的短期間だったから無事に終えられたんじゃないか、長期化したらどうなっていたのか……。そう考えずにはいられません。
そうでなくとも、もし自分が当時独身だったら? 就職氷河期のあおりを受けた当事者だったら? あるいはシングルマザーになった妻だったとしたら? 家族で介護を分担できなかったら?……
「そうじゃなかったら」の自問は尽きませんでした。
弱者が切り捨てられる、時代の気分を変えられるか
──「そうじゃなかったら」の問いを、小説に落とし込んだのですね?
そうですね、もともと僕はミステリー小説を書きたかったわけですが、書くならこれだなという確信を得て、数年かけて介護にまつわる見聞を深めながら執筆に取り組みました。自分の経験だけでなく、強く印象に残っている出来事もあります。
2006年に起きた京都伏見介護殺人事件。生活費が底をついて一人で認知症の母の介護を続けていた50代の息子が心中を図り、結果的に息子が生き残ったという事件です。認知症が進むにつれ常時介護が必要になり、息子は仕事を休職、そして退職。その間二度にわたって生活保護の申請を試みましたが、息子本人は働けると判断され受理されませんでした。
──父の介護で困窮し、悩んだ末に意を決して生活保護の申請に向かった斯波の姿と重なります。
斯波を犯行に向かわせない最後のチャンスがあるとしたら、窓口で支援につなぐことでした。彼は生活保護が最後の手段だと思っていましたから、そこで遮断されてしまい、絶望して極端な方向に走っていく。僕は「お前もっと早くだよ……!」と思いながら書いていたわけですが、人間は追い込まれると正常な判断ができなくなることもまた、実際にある現実ですよね。
それに、執筆していた頃は生活保護バッシングがすごかった時期でもありました。2012年には何人かの芸能人の親族が受給していたことが問題視されました。正規の手続きを踏んでいたにもかかわらず不正受給が蔓延しているかのような、生活保護を受けるのは恥だといわんばかりの糾弾に、申請をためらう人もいたのだろうと想像します。
そんな時代の“気分”に、一石を投じられる存在であり続けたいのが本懐ですね。

──出版から10年になる2023年の映画化。これだけの時間を要した背景はあったのでしょうか?
実は出版してひと月も経たない頃から、前田哲監督から映画化したいというお話をいただいていました。僕としてももちろん前向きに協力させてもらっていました。
ところが2016年、やまゆり園事件が発生。優生思想に傾倒した犯人が障害者福祉施設の入所者や職員を殺傷し、世間に大きな衝撃を与えました。裁判でも障がい者への偏見にもとづいた自論を繰り返し、差別が助長されることを危惧した人も多いと思います。
この事件を知り憤るとともに、介護殺人を扱った本作の映画化はもう無理なのでは、と思いました。優生思想に加担していると誤解されてしまうくらいなら、映像化するべきではない。そこまで考えましたが、熱意を持って小説の核心が伝わる絶妙なバランスで映画作品にしていただき、今この時期に公開できてよかったと思います。

この世は捨てたもんじゃない。確かに潮目は変わった
──加速する少子高齢化、長期化して久しいコロナ禍。介護を取り巻く状況は厳しさを増しているように思えますが、現状をどう捉えていますか?
確かに高齢化はこの10年ですごく進みました。でも、社会の流れを見ていると「悪いことばかりではない」と感じています。
介護職に従事していない自分がいうのもなんですが、介護問題に対する世間の当事者意識は相当強くなったと思います。ひとごと感がなくなったというか、介護の負担解消や介護職の待遇改善は皆が向き合わなければならない課題であると、社会のコンセンサスがとれていますよね。
2020年には、コロナ禍で困窮する人が増加していることを受け、厚生労働省が生活保護受給を強く呼びかけました。「ためらわずに相談を」「生活保護の申請は国民の権利です」というメッセージに“異例の”呼びかけと注目が集まりましたが、僕は世の中が変わってきていることの証左だと思います。
救いは、ある
──『ロストケア』では、犯人の斯波が介護殺人を「唯一の救い」だと語ります。許されない行為ですが、彼の事情が共感を呼ぶことも、否定しがたいように思えます。
どのような事情があれ、人に手をかけるのはあってはならないことです。小説は「正しいこと」だけを描くわけではないですし、そこが小説に“できること”でもありますから、是としているわけではないことは改めて大前提としてお伝えします。
それでもあってはならないはずのことを、どこか仕方ない、共感できる部分があると思われたのなら、もう一歩踏み込んで「どうして私たちは共感してしまうのだろう」と想像してみてほしい。作品の見方や感じ方について、僕は何か言える立場にはありませんが、僕の願いはそこにあります。
大友検事は実に正しい。何一つ間違っていません。でも、時としてその正しさが、正しい言葉が、正しく響かないことがある。それはなぜなんだろうって。
──それほどまでに、人を追い詰めるものがあるのだとしたら。望みはあるのでしょうか?
自分の経験からしても、人に聞く話でも、やはり人を追い詰めるのは「孤立」です。とにかく一人や少人数で抱えないこと、外部とのつながりを絶たないこと。これに尽きると思います。
追い込まれると、人間はろくなことをしません。誰かが正常な判断力を失ったとき、それを当事者の心の問題に帰結させようとする向きは多いですが、本当は状況の力がものすごく大きいと思っています。経済状況、家族関係、そして私たちが関わる社会制度。
介護をする家庭が、必ずしも『ロストケア』で描いたように追い込まれるわけではありません。でも、つらい思いをしている人は、一部だとしても確実にいます。だったら社会でその負担を分け合えないかな、と。
きっと、救いはある。SOSを発信できる、受け取れる世の中になっていくこと。それが社会の希望だと、僕は信じています。
