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「このままでは潰れる」若手理事が感じた危機
東武亀戸線・小村井駅から徒歩5分。下町の風情が残る住宅街に建ち、97床を擁する墨田中央病院は1941年の開院以来、地域医療を支えてきました。
医療の質や日々の患者対応そのものに大きな支障はありませんでしたが、残業が常態化し、業務は属人化。患者情報や業務に必要なデータの管理も追いつかない状態が続いていました。

2019年4月、小嶋和樹さんは墨田中央病院の理事・事務部長に就任しました。当時36歳。長い歴史を持つ病院組織の中では、異例ともいえる若さでの抜てきでした。それまでは併設のクリニックの責任者を務めており、病院の運営に深く関与するのは初めてのこと。
「最初は何から手を付ければいいのか、院内で何が起きているのかもわからず、正直戸惑いがありました。ただ、日々の業務を見て回るうちに、このままのやり方を続けていては長く持たないのではないかと感じました」(小嶋事務部長)

就任後に直面したのは、医療業界独特の保守的な体質、そして「昔からのアナログなやり方」に固執した業務風景でした。その状況を「正直信じられなかった」と振り返ります。
「医事課では、膨大な紙カルテをペラペラとめくってチェックしていました。しかし紙は、その瞬間に1人の職員しか見ることができません。そのため、確認作業をほかの職員と並行して進めることができず、業務がたびたび滞っていました。
また、室内には書類があふれかえり、必要な資料を探すだけでも時間がかかる。こうした積み重ねが、残業を生み続けていたんです」(小嶋事務部長)
電子カルテに反対の声。それでも踏み切った理由
「事務部長になるとき、4つのテーマを決めたんです。『就業規則の見直し』『部署の業務の最適化』『施設基準の取得』そして『電子カルテの導入』です。現場の負担や将来への影響を考えると、最優先で着手すべきと感じていたのが電子カルテでした」(小嶋事務部長)
小嶋事務部長はさっそく電子カルテの導入に取り掛かります。しかし、現場にとってこの決断は、簡単に受け入れられるものではありませんでした。
「慣れない作業で効率や速度が落ちるのではないかといった意見がありました。何より、数億円規模の費用がかかるものですから、そこまでお金をかけるべきなのかという議論がありましたね」(小嶋事務部長)
中規模の病院経営において、億単位の投資は小さな決断ではなく、目に見える売上増に直結する施策でもありません。反対されるのはむしろ当然でした。院内には慎重な声や反対意見もありましたが、長時間労働や業務の非効率さに悩む職員がいたのも事実です。
「全員が納得しなくても、腹をくくって踏み切る必要がありました。とくに人材採用への影響が深刻だったんです。面接に来た看護師に『紙カルテしかありません』と伝えると、それだけで辞退されることもありました。若い医師や看護師にとって、紙の運用はすでに想定外なんです」(小嶋事務部長)
ちょうどそのころ、社会はコロナ禍に入り、医療機関向けの資金調達環境が変わっていきました。補助金や融資制度が整い、これまでよりも資金を確保しやすい状況が生まれていたのです。
資金調達のめどが立った段階で、導入するシステムとベンダーを選定しました。
「お金は用意できました。電子カルテの選定も終えています。あとは院長がハンコを押すだけです」。小嶋事務長は、院長に決断を迫りました。こうして、墨田中央病院の電子カルテ導入プロジェクトはようやく動き出します。
病院の“構造的な課題”をデータで捉える
電子カルテの導入は決まったものの、どう運用すれば効果が出るのか……。小嶋事務部長は答えを見つけることができずにいました。
そこで頼ったのが、旧知の友人である塚越祐太さんでした。複数の製薬企業で営業職として働きながら、研究者として経営学・会計学・データサイエンスなどを学んできた人物です。
「塚越には『うちに来て病院を助けてほしい』と伝えました。大企業のルールやガバナンスの中で結果を出してきた彼の視点がどうしても必要だと思ったんです」(小嶋事務部長)
塚越人事総務部長は参画の背景について、「立派な志があったわけではない」と振り返ります。
「私にとって病院経営は未開の地だったので、単純に興味があったんです。制度が整えられている世界なのに、赤字になる病院があるのはなぜだろうと疑問でした。それを現場で勉強させてもらおうという感覚でしたね。経営はセンスや感覚で語られがちですが、大部分はサイエンスです。科学的な説明がなされ、再現性が重要視されるべき分野だと考えています」(塚越人事総務部長)

塚越人事総務部長が着目したのは、「誰が頑張っているか」という個人の問題ではなく、「なぜ頑張らないと回らない構造になっているのか」という点でした。
「以前から医療の現場には、構造的要因によって業務が偏り、報われない人がいると感じていました。一部の個人の努力で何とかしている状態は組織として健全ではありません」(塚越人事総務部長)
小嶋事務部長は、塚越人事総務部長のこうした考え方に強く共感したといいます。
「病院の中にいると、どうしても感覚で判断してしまう場面が多くなります。でも彼は、『どうしてそうなっているんですか』『合理的な理由を説明できますか』と聞いてくる。その視点が、当時の病院には決定的に足りていませんでした」(小嶋事務部長)
分析で見えてきた「忙しさの正体」
入職した塚越人事総務部長はデータ分析に取り組むと同時に、トイレ掃除や受付案内、クレーム対応など、入職後およそ1年をかけて院内のあらゆる業務を体験しました。
「誰がどのような仕事をしているのかを理解しないと、数字だけ見ても意味がないと思ったんです。人員配置や部門間の連携の課題を見つけられたので、とても有意義な期間でしたね」
「同じ部門でも、隣の人が何の仕事をしているのかわからない。『忙しい』とは言うけれど、なぜ忙しいのかを具体的に説明できない。さらに、部門をまたいで重複した業務がおこなわれるなど、業務の整理整頓ができていない状態だったんです」(塚越人事総務部長)

こうした実感を、データで検証することにしました。
電子カルテと勤怠データを二次利用し、職員一人ひとりの業務量を1分単位で集計・可視化するシステムを独自に開発。現場で語られていた「忙しさ」を、数字として捉え直したのです。
例えば1つの病棟看護部門にフォーカスすると、職員35人の1年間の合計勤務時間はおよそ220万分。看護記録の総数は年間で45万件以上に上ります。
これらのデータをもとに、いつ、誰が、どの業務を、どれくらいの時間おこなっているのかを洗い出したところ、人によって業務量に明確な差があることがわかりました。
「忙しさの感じ方は人によって違います。仕事量が多い人もいれば、経験や段取りの問題で効率が落ちている人もいます。データを見ることで一部の職員に業務が集中していることも、はっきりと見えてきました。
負荷が偏ると離職のリスクが高まる可能性があります。そこで、データを根拠にしながら、職員ごとに必要な支援をアレンジすることで具体的な提案ができるようになりました」(塚越人事総務部長)
人材確保に悩む採用担当の方へ
医療・福祉の採用相談はジョブメドレー業務整理で残業が半減。年間3,500万円の残業代も大幅削減
2021年9月時点、部門全体の残業時間は月およそ2,000時間に上っていました。残業代だけで年間およそ3,500万円が支出されていたといいます。
医事課だけを見ても、月に合計600時間の残業が発生していました。作業内容を分析すると、資料の探し物、データの二重入力、紙からの転記など、本来不要な作業に多くの時間が取られていることがわかってきました。
「配置や役割、スキルが噛み合わないまま業務が割り振られたことで、忙しさだけが積み重なっていたのだと思います」(塚越人事総務部長)
属人化していた業務はマニュアル化し、権限や役割も見直しました。電子カルテ導入後も残っていた紙での確認作業や二重管理も、一つずつ整理してなくしていきました。その積み重ねによって、部門全体で月2,000時間あった残業はおよそ1,000時間分まで減少。それに伴い、残業代の支出も大幅に減らすことができました。
「手取りが減ることに抵抗する人は一部いましたが、これで辞めた人はほとんどいませんでした。多くの人は早く帰りたいと思っていたんです」(塚越人事総務部長)

面談から見えた、現場の“見えない負担”
この改革は、数字だけで進められたわけではありませんでした。塚越人事総務部長は、データ分析と並行して、全職員およそ200人と年に1回、1人あたりおよそ1時間の個別面談をおこなっています。
「面談をする理由は2つあります。ひとつは、私の分析結果と職員の感覚の整合性を確認することです。数字はすべてを表現できるわけではありません。面談は数字によるミスリードを防ぐうえで非常に重要なことですし、データには表れない職員の人柄にも触れることができます。
もうひとつは、職員の要望や悩みを知るためです。現場で感じる小さな不満が、実は病院にとってとても重要なこともあります。以前当院では、手動のベッドを採用していたんですが、その作業が大変だという声が上がっていました。朝7時半からおよそ100台のベッドを手動で起こす作業は、日々の積み重ねで大きな負担になっていました」(塚越人事総務部長)
ベッド一台を起こすのに1~2分かかると仮定し、これを1日3回繰り返すと部門全体で1日10〜15時間がこの作業に費やされます。
看護師の平均時給をもとに作業時間を人件費に換算すると、電動ベッドをリースしたほうが、長期的にはコストを抑えられることがわかりました。現場の負担軽減と費用対効果の両面から検討し、電動ベッドの導入を決定しました。
「面談には膨大な時間がかかります。でも、面談をするからこそ、数字だけでは見えない改善策にたどり着けました」(塚越人事総務部長)
データ改革と並行した地域との関係構築
塚越人事総務部長が院内の仕組みづくりを担う一方で、小嶋事務部長は「病院を外から支える役割」を担ってきました。行政、地域団体、他院との関係づくりは、経営の土台を整えるうえで欠かせない仕事だといいます。
現在は事務部長として、東京商工会議所や墨田向島法人会、向島交通安全協会、消防懇話会など、地域に根ざした団体に所属し、病院の外での活動も続けています。こうした活動について、小嶋事務部長は次のように語ります。
「僕は医師ではない立場でこの法人を動かしているので、地域とのつながりは本当に大事だと思っています。外に出て話をすると、『病院がどう見られているか』『何を期待されているか』がわかることも多いんです」(小嶋事務部長)

同業者とのネットワークづくりもその一環です。施設基準や監査対応など、経営に直結する情報を得るため、医療業界の勉強会にも積極的に参加してきました。
「ほかの病院の方とお話し、お互いの病院で取り組んでいること、課題や問題を共有したり、情報交換の場として活用しています。電話やメールも便利ですが、お互いに顔を合わせて話すことも大切だと思っています」(小嶋事務部長)
病院を「地域の共有財産」として残すために

電子カルテの導入、業務の可視化、職員との対話、そしてネットワークづくり。いずれも地味で、時間のかかる取り組みです。しかし、その一つひとつの積み重ねが病院の在り方そのものを少しずつ変えています。
ただ、改革を進めれば進めるほど、新しい課題が見えてきます。塚越人事総務部長は、病院経営の難しさについてこう語ります。
「高収益だけを目指すなら、採算の取れない部門を切り離す判断も出てきます。でも医療はそれをやってはいけない部分がある。患者さんが行く場所を失ってしまうからです。赤字覚悟で守る部分と、収益で支える部分。そのバランスをどう取るかが、今も一番の悩みです」
最後に、小嶋事務部長に、これからの病院の在り方について聞きました。
「5年後も10年後も、ここに病院があることですね。職員が誇りを持って働けて、地域の人に『ここがあってよかった』と思ってもらえる場所であり続けたい。それが、僕の一番の目標です」
取材協力:医療法人社団 隆靖会 墨田中央病院