
1.そもそも柔道整復師とは
2.「柔道整復」という名前の不思議
3.柔道整復のルーツは古武術に!?
3-1. 成り立ちは「殺法・活法」にあり!
3-2.柔道の誕生
4.接骨術が柔道整復になるまで
4-1.接骨業は絶滅の危機にあった
4-2.接骨業復活への運動と「柔道整復」の誕生
5.現代における柔道整復
6.最後に
1.そもそも柔道整復師とは
1970年に成立した柔道整復師法によって資格が定められ、その業務として骨・関節・筋肉などに発生した骨折・捻挫・脱臼・打撲等の損傷を、手術を行わずに整復(治療)します。また、柔道整復師として働くためには柔道整復師国家資格を取得する必要があります。
柔道整復師の養成校や接骨院は今も増え続け、日本においては広く認知されている職種と言えるのではないでしょうか。
2.「柔道整復」という名前の不思議
日本ではメジャーなものとなっている「柔道整復」という治療法ですが、見てわかる通りその名前には「柔道」というスポーツの名称が含まれています。このように特定のスポーツ名を冠する治療法が、法的に認められ発展したケースは世界から見ても珍しいそうです。
2001年、「柔道整復」はWHOの公表した報告書内で、「Judo Therapist」という名称で紹介されました。ですが、あえて「柔道セラピー」と言い換えると違和感を覚えませんか? 柔道整復では、治療手段として柔道を用いるわけでもなければ、セラピーを通して柔道の技術が直接的に向上するわけでもありません。名が体をなしていない。そんな感じがします。
さらに突き詰めれば、様々な武道やスポーツの中でなぜ「柔道」なのか。「接骨」ではなくなぜ「整復」なのか。歴史をさかのぼりながら「柔道整復」という名称の謎をひも解いていきましょう。
3.柔道整復のルーツは古武術に!?
古くは10世紀末に書かれた「医心方」という日本最古の医学書に、骨や関節の損傷、打撲などの治療法が記されていました。柔道整復に通ずる手技についての記述はこれが国内最古のものとされています。しかし、現代における「柔道整復」のあり方として色濃く影響を与えたものは、戦国時代の武術にあったようです。
3-1.成り立ちは「殺法・活法」にあり!

かつての武術は、人を傷つけ殺めることに特化した「殺法」と、負傷した人を治療し時には蘇らせる「活法」とで成り立ち、それぞれが表裏一体となり発展していきました。
時代の変遷とともにこれらは形を変え、「殺法」の一部は柔道をはじめとする武道やスポーツ競技として組み込まれ、「活法」の一部は医療技術として継承され、接骨業として浸透していきました。さらには明治維新を経て、西洋医学と融合しながら現在の柔道整復や整形外科へと昇華したとされています。
※手塚政孝 “柔術「活法」の文献研究” より引用
3-2.柔道の誕生
戦国時代が終わることで、人々の生活は安寧を迎えました。それにより、人を殺めるための技術を学ぶ必要は少なくなり、治安維持や護身のための技術が重要視され、殺法は柔術やその他の武技へと発展していきました。
柔術の発展系とされる柔道。柔道の総本山である講道館の創設者「嘉納治五郎」が、体系化し広めたとされています。
元々、日本古来の武術である柔術を学んでいた嘉納治五郎は、その修練を続けるうちに、技術の向上だけでなく、心身の健全な発育にも効果があると身を持って体験し、多くの人に広めるべきだと考えました。1882年、そこで初めて、戦うすべであった「柔術」から、人間形成を目的とした「柔道」が誕生したのです。その後、「柔術」と「柔道」は別の道を進み、それぞれ発展・普及していきました。
なお、嘉納治五郎が「柔術」という言葉を避け「柔道」という言葉を生み出した理由には、下記のような説があります。
- ・文明開化の潮流の中で、柔術を含めた武術のイメージが世間的に良くなかった
- ・「術」は応用面を意味する言葉であるため、それに対し原理を意味する言葉として「道」を採用した
- ・しかし、これまで紡いできた歴史や技術に尊敬をはらい「柔」の言葉を残した
嘉納治五郎(1860−1938)
※wikipediaより引用
4.接骨術が柔道整復になるまで
4-1.接骨業は絶滅の危機にあった
「柔道整復」が治療法として確立する以前の明治時代、接骨業を営んでいた者の多くは柔術家と柔道家だったといいます。
しかし世間は明治維新の真っただ中。国家は「日本の医療を西洋医療に一本化していく」という動きがあり、接骨・漢方・鍼灸・あん摩などの伝統的療法の規制を行いました。これにより、接骨業を営業できるのは医術開業試験に合格し「整骨科医術開業免状」の交付を受けた者のみとなり、接骨業を営んでいた者たちは実質的な廃業の運命を辿ったのです。また、それ以降も規制は強化されていく一方となりました。
4-2.接骨業復活への運動と「柔道整復」の誕生
接骨業の規制が進む中、柔術家や柔道家たちは道場の運営だけでは生活することもままならず、自分たちの生活を守るためにも、接骨業を法的に認めさせるための政治活動を行っていました。
大正期になるとその活動は活発化し、彼らは「柔道接骨師公認請願運動」を実施。幾度にも及ぶ請願書の提出の末に接骨業は遂に法的根拠を得ました。一方で、内務省からは「接骨についての処置は内務省で既に禁止されており、接骨術という字句の使用は認めがたい」という意向も示されました。
こういった政治的背景や、当時の柔道の普及・発展の様子を考慮し、「柔術接骨」ではなく「柔道整復」という名称が採用されたと考えられています。
5.現代における柔道整復
戦後、GHQの統制により旧憲法下における法律は一新され、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が制定。1970年には「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」から柔道整復の部分が抜き出され、単独の「柔道整復師法」が成立しました。
その後、1989年に「柔道整復師法」が改正され、厚生労働省による国家試験が実施される運びとなり、現在の形となったのです。
6.最後に
接骨から柔道整復への名称の変遷には諸説ありますが、柔道整復師は明治時代の急激な文化の奔流と政治的背景に翻弄されてきた職種のようです。
現代では整骨院・接骨院の数は年々増えており、厚生労働省が発表した「保健・衛生行政業務報告(衛生行政報告例)」によると2016年度末には48,024店(10年間で約20,000軒増加)にもなりました。このまま施術所数を増やせば、いずれコンビニエンスストアの55,431店舗(日本フランチャイズチェーン協会統計データ参照)にも迫る勢いです。
先人たちの努力によって柔道整復師という職は生き残り、今ではなくてはならない治療法として世間に浸透した証とも言えるのではないでしょうか。
参考文献・ウェブサイト
- ・湯浅 有希子 『柔道整復師形成過程の歴史的研究ー医学および医療制度の分析と天神真楊流柔術ー』 早稲田大学出版部
- ・江夏 怜 『古流柔術の殺法・活法』 東京図書出版
- ・公益社団法人 日本柔道整復師会 http://www.shadan-nissei.or.jp/index.html