
1.隠岐諸島・海士町(あまちょう)に行ってきた
2.島のほけんしつを営むセラピスト
3.海士町に移住したきっかけ
4.海士町での仕事・働き方
5.セラピストとして独立
6.番外編〜海士町での暮らし〜と
1.隠岐諸島・海士町(あまちょう)に行ってきた

今回お話を伺ったのはこちらの方。
隠岐諸島の海士町(あまちょう)で働くセラピスト・島根輝美(しまねてるみ)さん。偶然立ち寄ったお店のオーナーさんで、取材の申し出を引き受けてくれました。
島根さんが暮らす海士町は、島根半島の北約60㎞の位置にある隠岐諸島の1つ。「海士町」は町の名前で、島の名前は「中ノ島」といいます。
本土から海士町へのアクセスは島根県・七類港(しちるいこう)から、海士町・菱浦港(ひしうらこう)行きのフェリーと高速船が出ています。

菱浦港フェリーターミナル
島根県の七類港は、国内主要空港の直行便が発着する「米子鬼太郎空港」から車で約15〜20分の距離。
フェリーと高速船は出発時間が異なるため、「隠岐汽船」のホームページで時刻表を確認しておきましょう。※高速船は電話かインターネットで事前予約が必要

それぞれの所要時間と料金の目安は以下のとおりです。
アクセス方法 | 所要時間 | 片道料金(最安) |
フェリー(七類港→菱浦港) | 3時間10分〜 | 3,300円〜 |
高速船(七類港→菱浦港) | 1時間46分 | 6,280円 |
2.島のほけんしつを営むセラピスト

「菱浦港フェリーターミナル」から徒歩約2分のところにある
ーこんにちは!今日は突然お邪魔してしまってすみません。
島根さん:いえいえ〜。ここは港の目の前なので、観光の方がよく立ち寄ってくれるんです。この夏、本当にたくさんの方に「カフェないの?」「ここはお茶飲めるの?」って聞かれました(笑)。海士町はカフェがないので。

ー自分も「どこか休憩できる場所を…」と思っていたらこの看板が目に止まりまして。こちらはどんなお店なんですか?
お店は「島のほけんしつ 蔵 kura」という名前で、自然素材のアロマやクレイを使ったマッサージやコンサルテーションなどを提供しています。
もともとは「島で働く人を元気にしたい」と思ってはじめたんですけど、いまでは体の不調だけでなく、子どもから大人までいろいろな相談をしにきます。夕方には島の高校生が恋愛相談や進路相談に来たり。
せまい島なので、たまに1人になりたくなったときに、良い意味で“逃げ場所”としても使ってもらえたらいいかなと。

ー人間関係が濃い離島ならではのコンセプトですね。簡単な経歴を聞いてもいいですか?
年齢は50歳になりました。兵庫生まれの兵庫育ち。25歳の娘と2人で暮らしていて、2015年の4月から海士町に移住しました。
ー娘さんと一緒に島に来たんですか?
娘は兵庫の家で暮らしているんですけど、彼氏と住むために近々引っ越す予定です。昔から母親にべったりなので、「このままじゃいけないな〜」と思って置いてきました(笑)。わたしもそろそろ自分のやりたいことをやってもいいのかなと。
ー親子仲が良いんですね。移住する前はどんな生活をしてたんですか?
20代はホテルで働いたり、保育士になったり、いろいろやって23歳で結婚。結婚後はほぼ専業主婦で32歳のときに離婚。その後は33歳から44歳までの11年間、一般企業の事務職をしてました。
ー自由奔放な印象ですけど、会社勤めが長いんですね。
もともと事務作業は苦手です(笑)。でも母と娘2人になったときになるべく一緒にいてあげたくて。接客業はシフト制だし、土日も休めませんからね。
でも苦手意識のあった事務もやってみたら楽しかったし、「負けてられるか」と思って働いていたら、3ヶ月でパートから正社員になったり、社員表彰をもらえたり。髪型はずっとこのままでしたけどね(笑)。
ーその髪型にはどんなこだわりが?
20代後半からゴスペルを歌っていたので、その頃からずっとトレードマークです。
3.海士町に移住したきっかけ

隣の西ノ島にはフェリーで約15分。1日8便が出航(年末年始は1日2〜4便)
ーそんな会社員時代を経て、なぜセラピストに?
事務職は本当にやりたい仕事ではなかったので、30代半ばからいろいろしんどくなってしまったんですね。特別ショッキングなことがあったわけではないけど「何だか苦しい。この先どうしようかな…」みたいな経験ありません?
ーそれは少しわかる気がします。
そんなときに、いわゆる「スピリチュアル」の世界と出会ったんです。
ースピリチュアルですか。
あ、いま「話がうさんくさくなってきたな」って思ったでしょ(笑)。そういう顔をした。
ーそんなことはないです(笑)。

わたしはぜんぜん信じてなくて、占いすら行ったことがなかったんです。でも当時は「スピリチュアル」の考え方にすごく助けられたんですね。
そこで「わたしも何か身に付けたいな」と思ったんですけど、どう頑張ってもわたしにはオーラが見えなかったんです。「あなたにも見えるはずだよ」「いえ、見えないです」みたいな(笑)。
ー精神的なリラックス効果はあるかもしれませんね。
そういう感じだったんですけど、「スピリチュアル」が興味の入り口になり、「心と体の両方にアプローチする方法はないかな」と思って、働きながら解剖生理学やアロマセラピー、東洋医学などの実践的な理論を学びました。そうしたらどんどん面白くなってきて。
ー勉強は独学ですか?何か資格を取ったり?
現役セラピストの先生を探して、マンツーマンで教えてもらいました。あとは自分が学びたい内容の講座を単発で受講して、自分なりのケア理論を組み立てたという感じです。
資格は日本アロマコーディネーター協会(JAA)の認定資格を取りました。年会費を払って登録していると、JAAのセラピストを名乗れるんですけど「そろそろいいかな」と思って退会しました。いまは独自のメソッドでやっているし、民間の認定資格はある種「看板」みたいなものなので。
ーセラピストとして海士町に移住したのはなぜですか?
実はわたしの両親は海士町の出身で。島に多少のゆかりがあったんですけど、親戚のおじさんが肌の不調で本土の病院まで行っていると聞いて、「海士町にセラピストがいてもいいんじゃない?」と思ったんです。

ー移住を決めてからは順調にいきましたか?
まったくダメです。そもそも島に「アロマセラピー」という概念自体がなくて、無理もないんですけど「セラピストって何するの?」という感じでした。
そこでいろいろと調べていくなかで、海士町の地域おこし協力隊に「商品開発研修生」という制度があることを知り、まずは香りを商品化して、セラピストにできることを知ってもらおうと思いました。
役場の方に電話して、「セラピストとして島の人の心と体のケアがしたい」「それに加えて、島で親しまれているクロモジの商品化はどうでしょう?」と言って、企画書を送ったんです。
ークロモジって何でしょう?
樹木の名前です。海士町ではクロモジの枝を使った「ふくぎ茶」が昔から飲まれていて、香りがすごくいいんです。その香りを精油にしたら喜ばれるんじゃないかと。
ー企画書は無事に通りました?
書面や電話のやり取りだけだと伝わりづらかったので、島に何回か足を運んで、自費でサンプル品をつくって、提案から1年経ったときに「地域おこし協力隊の商品開発研修生として来てください」と連絡をいただきました。
point
人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度。
2018年度には全国1,061の自治体で5,530人の隊員が活躍している。期間はおおむね1年以上最長3年まで。詳細は総務省のホームページをご参照ください。


「島のほけんしつ 蔵 kura」で販売しているクロモジ精油(写真上)とクロモジ水(写真下)
4.海士町での仕事・働き方

—すごい行動力ですね。移住が決まってからの話を聞かせてください。
2015年3月に連絡があって、移住したのは2015年4月です。住むところは町営住宅を用意してくれました。
—働く場所は「この蔵をどうぞ」みたいな?
いえ、違います。来る前は「ケアルームも用意する」「備品や消耗品も活動費がある」という話だったんですけど、いざ役場に行ったら担当の方が早期退職されていて、1年間やり取りした話がうまく伝わっていませんでした。
後任の方は「クロモジの精油をつくりにきたんですよね?」という認識で、役場のデスクとパソコンだけ与えられて、ケアルームや蒸留する機械は当然あるはずもなく。正直、八方ふさがりでしたね。
—スタートから大変でしたね。そこからどうしたんですか?
はじめは自宅でケアをしようと思っていたんですけど、地域おこし協力隊としてお給料をもらっている関係もあり、副業で収入を得ることができませんでした。
—地域おこし協力隊のお給料っていくらなんですか?
月15万円です。看護師やその他専門職の人はもう少し増えると思いますけど。そこから家賃などが引かれて、手取りは11万円くらい。さらに光熱費を払います。
—セラピストとしての活動はいつから解禁に?
有料のケアはできなかったので、「ボランティアだったらいいですか?」というかたちで、島に3つある特別養護老人ホームとデイサービス、グループホームに飛び込みでお願いをして、訪問ケアに入りました。
日中は役場で商品開発の仕事をやりながら、毎日どこかしらの施設に行ってましたね。
—訪問ケアはどんなことをするんですか?
お年寄りのハンドマッサージだったり、背中のマッサージだったり、むくみのある方に足湯をしたり。優しくさすってあげる「タッチケア」は施設でもご自宅でも簡単にできるので、身近な看護師の方やご家族の方に覚えていただけると嬉しいなと。
—商品開発と訪問ケアをおこなって、「島のほけんしつ」はいつできたんですか?
セラピストの活動に対して、施設のお年寄りだけではなく、島の人たちのニーズがすごくあったので、役場の人も「住民が喜ぶなら」ということで、町が倉庫として使っていた蔵を貸してくれることになったんです。それが島に来て1年経った、2016年の春ですね。

島のほけんしつの内観。ソファーでゆったりできて、フリーWiFiも利用可能
—蔵では最初から商品開発とケアをおこなっていたんですか?
15万円くらいの小さな機械を買って、試験的に蒸留をはじめました。それで商品を置き出したら、体の相談をしにくる人も増えてきたので、1階でカウンセリングをおこない、2階でケアをするようになりました。
—商品開発以外ではお金をもらえないんですよね?蔵での施術も無償ですか?
最初はそういう話だったんですけど、役場と相談して、ケアの料金をいただいて、利益が出た分を商品開発にかかる消耗品や備品に充てることになりました。
訪問ケアは蔵での仕事が忙しくなり、ボランティアで行くことが難しくなってしまったんですけど「有料で契約するので来てほしい」ということで、そちらも可能な範囲でおこなっています。
5.セラピストとして独立

—いまはセラピストとして独立したかたちになるんですか?
そうですね。地域おこし協力隊は3年間の期限付きなので。
—独立するまでの流れをくわしく知りたいです。
地域おこし協力隊の最終年度に入ったときに、役場の方がすごく理解を示してくれて、「この場所は海士町に必要だと思う」「地域おこしが終わったあとはどうしたい?」という話になったので、「島の人が来てくれるので続けたいです」と伝えました。
そこで要望を聞いていただいて、「トイレ付きのケアルームがほしい」「できれば商品開発用のラボもほしい」「観光客がお茶を飲めるスペースもほしいです」って、実現すると思っていなかったので、思ったことを全部言ったんです。
そしたら「じゃあ、やろう」と言って、話を議会に通していただいて、なんと補助金がおりました。今年の春できた新しい建物がそちらです。

—すごい!奥の建物は最初からあったわけではないんですね。
そうですね。蔵自体は町の持ち物なんですけど、指定管理者になってます。
—独立にあたって、お金はけっこうかかりました?
事業の補助金をもらっているので、かかったのは備品関係の50万円くらいかな?

—セラピストの1日の流れを教えてください。
朝来て、準備をしたり、掃除をしたりして、基本的に来る人を待っていて、予約があればケアに入ります。あとはアロマセラピーの講座を開いていたりして、いま生徒さんが6人います。あとは依頼があれば、施設やご自宅の訪問ケアに行く感じです。

コミュニティスペースではセルフでお茶やコーヒーを淹れられる(各200円)
—独立してからの変化はありますか?
運営もお金のやりくりも全部やらないといけないし、大変なことが多くなりました。ただ、自由でいられるいまのほうが楽しいです。
ありがたいことに、今年の夏頃からはお客さんも増えてきました。
あとは最近、ケアに馴染みのない島の40代の男性が何人か、月に1回の定期メンテナンスに通ってくれるようになったので、それは嬉しい変化ですね。
—当初やりたかったことに近づいてますね。今後の目標を教えてください。
わたしの想いとしては、もっと医療福祉と連携したいんですね。いまはそれができつつあって、診療所の看護師さんにお願いされて、医療的なケアができない患者さんの「緩和ケア」をおこなっています。
わたしの施術は保険適用外になってしまうんですけど、ご家族もご了承のうえで、とにかく患者さんが穏やかな時間を過ごせるように心がけていて。
ただ、医療者ではない「セラピスト」が関わる事例があまりないので、周囲の理解や行政のバックアップが必要な部分もあり、そのあたりはまだ課題です。
あとは、ここの蔵にちゃんとしたカフェを作りたいので、島のほけんしつのコンセプトに共感してくれて、一緒にやってくれる人を探したいですね。誰かいないかな〜。
—ここがもっと素敵な空間になることを楽しみにしてます!
6.番外編〜海士町での暮らし〜

観光名所のひとつ「ハート岩」

島のブランド牛「隠岐牛」を放牧している
—最後は島での暮らしについて聞かせてください。いまはどちらにお住まいなんですか?
引き続き町営住宅を借りています。家賃は月2万5,000円です。平屋の一軒家で家自体は古いけど綺麗だし、お風呂も入居するときに改装してくれました。何も問題ありません。

島根さんが暮らしている町営住宅 ※許可をいただいて掲載しています
—移住してくる人はみんな同じタイプの町営住宅に住むんですか?
海士町は最近、Iターン希望者がすごく多いので、菱浦港の周辺にはおしゃれなマンションが建っています。キッチンもオール電化で便利なんですけど、ずっと空き待ちの状態みたいです。
—移住に向いているのってどんな人なんでしょう?
島は良くも悪くも人との距離が近いので、自分の軸がありつつ、柔軟に人と付き合うしなやかさが必要かなと思います。
噂はすぐ広がっちゃうし、わたしも移住したばかりの頃は目立ってしょうがなかった。髪型もそうだし、乗ってる車も目立つんですよ。いまは「島のほけんしつの魔女」と呼ばれてます(笑)。

会社員時代から乗っている愛車の光岡ビュート
—キャラが立ってますもんね。生活面で不便に感じることはないですか?
来た当初は「不便極まりない!」と思っていたんですけど、いまはとくに困ってないです。本当に海士町のキャッチフレーズそのままに「ないものはない」。それでいいなと。
都会みたいに便利じゃないし、ないものはない。でも豊かな自然や島の人など、生きていくのに必要なものは全部あるという2つの意味があるんです。

—お金の使い方や暮らし方は変わりました?
それはありますね。そもそも買い物するところがないので。ちょっとしたものはネットで買って、あとは本土の松江や米子に行ったときに買う感じかな。みんな空の大きなスーツケースを持ってフェリーに乗って、中身をパンパンにして帰ってきます。
—頻ぱんにフェリーに乗ると高くないですか?
島民割引があるので、船賃が半額以下なんです。だからみんなけっこう島外に出ます。
—海士町はIターンが多いと聞きました。どんな職種の人がいるんですか?
アートディレクターやデザイナー、フリーの編集者、 ベイクショップをやっている人など、職種は違えど自分で稼げる手段を持っている人が多いです。
—ふだんの食事はどうしているんですか?
「中村旅館(お泊まり処 なかむら)」とか、知り合いのお店で食べることが多いかな? 材料も余っちゃうし、1人で住み出してからはあまり料理をしなくなりましたね。娘のためにけっこう料理も頑張ってきたので、解放された〜って。

「中村旅館(お泊まり処 なかむら)」では、アーティストによる生演奏も

とある日の夕食。お刺身とかき揚げのあとに豆乳鍋を出していただきました
ー自分も中村旅館に毎晩通いました。今日はどうもありがとうございました!!