1. 『看護助手のナナちゃん』から、“介護の仕事”について考える

─『看護助手のナナちゃん 1巻』あとがきより
『看護助手のナナちゃん』は、作者の野村知紗さんが地元・広島の病院で看護助手として働いた体験を基に描いた作品です。看護助手のナナちゃんの視点で病院の日常が1話2ページの短いストーリーで展開されていきます。
医療職というと、医師や看護師、薬剤師をはじめとするさまざまな医療技術職が思い浮かびますが、看護助手の仕事は食事・入浴・排泄の介助、清拭、リネン交換など、入院患者さんに対する介護が中心で、医療行為そのものに携わることはありません。
入院中の患者さんの多くは高齢で、入退院を繰り返していたり、回復の見込みが少なかったり──、認知症を発症している方も少なからずいます。ドラマのような奇跡は起きませんが、奔便や脱走といった小さな事件は日常的に起こります。
ささいな出来事から患者さんの気持ちの一端を知るナナちゃん。その小さなエピソードの連なりから、患者さん一人ひとりに歴史がある、患者さんは入院生活の中で自身の病や老い、衰えを受け入れなくてはならない、という当たり前の事実に気づかされます。
介護とは、その人が生きてきた歴史に触れるということにほかならないのかもしれません。
※「小学館」公式サイトにリンクします
2. 『19番目のカルテ 徳重晃の問診』から、“人間を診ること”について考える

─『19番目のカルテ 徳重晃の問診 2巻』第9話 医者の顔(後編)より
日本の医療はそれぞれの分野の専門医がその道を究めることで医療技術の発展を促し、多くの患者を救ってきました。臓器によって分類された診療科の数は18にも上り、それぞれが専門とする疾患によってさらに細分化されます。
一方で、高度に専門分化した診療科は“たらい回し”の危険性と隣り合わせであり、時に患者が適切な治療にアクセスすることを困難にしてきた側面もあります。
そこに19番目の専門医として登場したのが総合診療医です。総合診療医は特定の臓器を専門とせずあらゆる疾患に向き合う、言わば“ゼネラリストのスペシャリスト”です。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』では、新設された総合診療科に赴任してきた徳重と総合診療医を目指す滝野という2人の医師を中心に、総合診療医の“人間を診る”仕事とはどのようなものかが語られていきます。
疾患という“結果”ではなく、その人の生きてきた“過程”を診る。さまざまな症状として現れる“疾患”だけではなく、疾患が患者や家族に与えるさまざまな影響=“病い”を診る。“病い”を治すために、その人の家族や生活環境にまで関与する。
多くの専門家(スペシャリスト)によって支えられている医療や福祉の現場。国から「地域共生社会」「断らない相談支援」「出口支援」といった方針が打ち出されるなか、この作品は医療や福祉に携わる多くの人のヒントとなるのではないでしょうか。
※「ゼノン編集部」公式サイトにリンクします
3. 『リエゾン─こどものこころ診療所─』から“社会から見えない存在”について考える

─『リエゾン─こどものこころ診療所─ 1巻』第1話 でこぼこ研修医のカルテ①より
2019年の文部科学省の調査によると、発達障害*を理由に通級制度*を利用する子どもたちは約9万人。2009年の調査と比較すると10年間で10倍近く増加しています。
*発達障害…ここでは情緒障害、自閉症スペクトラム(ASD)、学習障害(LD)、注意欠如多動性障害(ADHD)の総数
*通級制度…なんらかの障がいを持った児童が、通常の学級に在籍しながらそれぞれの特性に合った指導を受けることができる制度
ただし、これは“見えない存在”が可視化されただけであり、「増えている」と言うのは正確ではないかもしれません。大人の発達障害がしばしば話題になるように、子どもの頃から「集団生活に馴染めない」「みんなが当たり前にできることができない」と悩みながらも、診断名がつかないまま大人になったという人は少なくありません。
『リエゾン─こどものこころ診療所─』の主人公(児童精神科の医師・佐山と研修医・遠野)もまた、そんな生きづらさを抱えた大人です。
児童精神科を訪れる子どもたちやその親たちの現在進行形の葛藤に、主人公の当事者としての苦悩が重なります。生きづらさの正体がわからない不安。本人の努力ではカバーできないことを「普通」「だらしがないだけ」と括られてしまうことに対するもどかしさや悔しさ。
この作品を読むと、当事者にとって「今、苦しんでいる子どもを助けること」と「かつての自分を救うこと」は同じなのかもしれないと感じます。
※「モーニング」公式サイトにリンクします
4. 『リウーを待ちながら』から、“コロナ禍を生きる”ことについて考える

─『リウーを待ちながら 2巻』第11話 リウーを待ちながら(後編)より
『リウーを待ちながら』はすでに完結した作品ですが、「未知のウイルスとの戦い」という昨今の情勢を予言したかのような内容から、改めて注目されています。
気づいたころには感染は広がり、都市封鎖によって移動の自由が制限され、感染者に対する差別がはびこり、家族の死を悼むことすら十分に叶わず、感染拡大が落ち着いたかと思われたときに変異株が現れて──といった作中で起こる出来事は驚くほど現実と相似しています。
しかし、今私たちが経験していることはフィクションを軽々と飛び越えています。
作中では感染が横走市という一つの街の中に留められていたのに対し、現実では最初の感染者が見つかってから数ヶ月の間に世界中に広がりました。感染者だけでなく医療従事者も差別の対象になり、世界的にはアジア系に対する憎悪犯罪も深刻さを増しています。
ワクチン接種が始まったとはいえ、感染終息に至る道のりの今どのあたりにいるのか、はっきりしたことは誰にもわかりません。「未知のウイルスとの戦い」という負け戦をどう収めるのか。期待せず、でも、希望を捨てず、絶望に慣れることなく、どう生きればいいのか。
タイトルの「リウー」はアルベール・カミュの代表作の一つ『ペスト』の主人公の医師の名前で、作中には『ペスト』からの引用も多数登場します。とくに印象的なのが次の一節です。
ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。
─アルベール・カミュ著/宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)より
何が正解なのか答え合わせはまだ先になりそうですが、今このときをどのように生きたのかを忘れてはいけないのだと感じます。
※「イブニング」公式サイトにリンクします
5. 『素直なカラダ』から“心と体のメンテナンス”について考える

─『素直なカラダ』第4話 二つのダイエットより
□疲れているのに眠れない
□慢性的な首、肩の凝りがある
□ギックリ腰が癖になっている
□無性に甘いものが食べたくなることがある
□激辛グルメ、サウナなど刺激の強いものが大好き
□少しくらいの体調不良は休まず市販薬で乗り切る
□慢性的な頭痛に悩まされ、市販薬もついに効かなくなった
こんな症状に心当たりはありませんか? これらはすべて『素直なカラダ』の登場人物が抱えている問題の数々です。
この作品は主人公が鍼灸師・曲直瀬(まなせ)との出会いを通じて、自分や周囲の人の心と体の問題に向き合うストーリーです。
東洋医学の世界では、健康な状態から病に向かっている状態のことを“未病”と呼びます。自覚症状があるのに検査では異常がない場合や、その逆に、検査で異常が見つかったのに自覚症状がないという場合も未病に当てはまります。
4月から新生活が始まり、慣れない環境に緊張の連続……という方も多いかと思います。生活の変化による心身の不調=未病を見て見ぬふりしていませんか?
日々自分の体の声に耳を傾け、メンテナンスすることの大切さに気がつかせてくれるこの作品。読むだけで心が軽くなりますが、「体の調子がおかしいな」「疲れが溜まっているな」と感じたら、鍼灸をはじめとする東洋医学に頼ってみるのもいいかもしれません。
※「講談社コミックプラス」公式サイトにリンクします
なるほど!と思ったらシェアしよう!