新卒で介護職に就くも「このままでいいのか」と悩み続けた阿保(あぼ)さん。飲食店経営、保険営業と転職を重ね、失敗や挫折を経験しながら、最終的に介護講師や介護保険外サービスの運営者など、多様な顔を持つフリーランスとしての働き方を見つけました。
「頑張ることとは、嫌なことを我慢することではない」と語る阿保さんに、これまでのキャリアの変遷と異業種で感じたこと、そして現在の活動について聞きました。
話を聞いた人
阿保 友和さん
介護業界歴15年。講師としても10年以上のキャリアを持つ。過去には飲食店の経営や保険会社の営業職も経験し、現在はフリーランスとして、介護講師、介護職向けのコーチング、保険適用外サービス「ケアビレッジ」の運営などをおこなう。ジョブメドレースクールでも講師として登壇中。
新卒で感じた「労働時間で評価される」違和感
──現在、フリーランスとして幅広く活動されていますが、そこに至るまでにはさまざまな経験をされているんですね。これまでのキャリアの変遷を教えてください。
阿保さん:専門学校で介護福祉士の資格を取得し、新卒で老人保健施設に入職しました。その後、デイサービスに転職しましたが、28歳のときに一度介護業界を離れ、友人とバリアフリーのカフェバーを開業しました。
飲食店経営のあとは保険会社で営業職を経験し、その後介護業界に戻ってデイサービスと有料老人ホームに勤務。現在はフリーランスとして活動しています。

──なぜ新卒で老健を志望したんですか?
立ち上げて間もない施設だったので、自分たちで施設を作っていく感じが味わえそうだと思ったんです。その施設は歳の近いスタッフが多く、熱意を持って仕事に臨んでいました。

しかし、その施設には「遅くまで働く人が偉い」という風潮があり、働き方や評価方法に違和感を覚えるようになりました。私は入社してすぐに結婚して子どもがいたので、家族と過ごす時間も大切にしたく、入社3年目で別のデイサービスへ転職しました。
──転職先を選ぶときは、どのようなポイントを重視されましたか?
給料と働きやすさです。ただ、当時は働き方改革やワークライフバランスといった言葉もない時代でしたし、今のように転職先の情報を詳しく調べる方法も限られていました。
転職して給料は5万円ほど上がりましたが、働き方はあまり変わりませんでした。組織の仕組みが整っていなかったので、現場はベテランパートさんの個人プレーに依存していたんです。
当時の私は、立ち上げ施設での経験があったので「俺がこの職場を変えてやる!」と意気込んでいました。業務のやり方を整理したり、役割分担を明確にしたりして、効率化を図ったんです。でも、その仕組みを作り終えた時点で燃え尽きてしまいました。
──収入も働きやすさも手に入れられたように思えますが、何か原因があったのでしょうか?
パートさんとの人間関係をこじらせてしまったんです。現場の意見を聞かずに、一方的に仕組みを変えた結果、ベテランスタッフから「今までのやり方を否定された」と猛反発を招いたんです。
職員との信頼関係を築けず、声をかけても返事が素っ気なくって……施設で過ごした5年間は常に気が張り詰めていました。次第に精神的にも限界を感じ、「一度介護から離れよう」と決めたんです。
飲食店経営で見つけたサービス業と介護の共通点
──なぜ、介護業界の次に飲食業界にチャレンジしたんですか?
デイサービスに勤めているころから、飲食店でアルバイトをしていたんです。外食が好きだったこともありますが、それ以上に「介護の仕事にはもっとサービス業の視点が必要だ」と感じ、勉強を兼ねて働いていました。
アルバイトを続けるうちに、自分も店を持ってみたいと思うようになり、友人と共にバリアフリーをテーマにしたカフェバーを開業しました。
──飲食店で修行を積んで就職という選択肢もあったかと思いますが、なぜ開業を選んだのでしょうか。
義理の兄の影響が大きかったと思います。彼は世界を旅しながら出版社や飲食店、学校設立などの事業を手がけている実業家で、次々と夢を実現していました。デイサービスを退職して「このままでいいのか」と悩んでいたときに、彼と話す機会がありさまざまなアドバイスをもらい、それが決断の大きなきっかけになったんです。

──バリアフリーのカフェバーというコンセプトはどこから生まれたのでしょうか?
あるバーで飲んでいたとき、「カウンターの椅子が高くて座りにくい」という話題になったんです。最初は「スタッフと目線が合ったほうが話しやすいからでは?」と思いましたが、ふと「お店がお客に合わせたらどうだろう」と思ったんです。
そこからみんなが同じ目線で過ごせて、誰でも気軽に利用できるバリアフリーの店舗を作ろうと決めました。
お店を経営していて印象的だったのは、会社員と車椅子の人が並んで楽しくお酒を飲んでいる光景です。そのとき、お店を作って良かったと心から思いました。

──カフェバーの経営をとおして、新たな発見はありましたか?
提供するものが「お酒」か「ケア」かの違いだけで、目の前の人を満足させるという点では同じだと気づきました。もともと、デイサービス時代に感じていた直感が、大きな確信に変わったんです。
ただ、正直経営は厳しかったです。お金のトラブル、スタッフの無断閉店、人間関係の問題など、想定外の事態が続出し、共同経営者との方針の違いも表面化しました。デイサービス時代の反省を活かしてスタッフとの関係性には気を配ったつもりでしたが、適切なバランスは今でもわかりません。
とどめは震災でした。3月の歓送迎会シーズンで予約がすべてキャンセルになり、売上が急激に悪化して、6年目で閉店せざるを得なくなりました。
──介護、飲食を経て保険業界。一見まったく違う業界のように思えますが、なぜ保険業界だったのでしょうか?
カフェバーで開催していた異業種交流会に保険会社の方がいらっしゃって、「うちで働かないか」と声をかけていただいたんです。
飲食店を経営しているときから、「いつかお金の知識をきちんと学ばなければ」と感じていました。そんななかで出会った保険業界の人たちは、イベントを楽しみながら「仕事で参加している」と話したり、無償のマネーセミナーを開催したりしていました。
一見遊びやボランティアに見える活動が、実は営業戦略の一部だとわかり、「この働き方を間近で学びたい」と転職を決めました。
──実際に保険業界で働いてみて、これまでの介護や飲食と保険業界ではどのような違いがありましたか?
扱う金額は桁違いで仕事のスケールの大きさに驚きました。介護や飲食にはなかった戦略的に仕事を組み立てる発想がそこにはありました。
ただ、営業成績は振るわず3年で退職しました。今振り返ると、扱う商品を心から必要だと納得できず、熱意を持ち続けられなかったのだと思います。けれど、戦略的な視点やお金を学ぶことの大切さは、今の自分にとって大きな財産になっています。
介護業界への再挑戦
──一度燃え尽きた介護業界に、なぜもう一度挑戦しようと思われたのでしょうか?
介護業界を離れたときから「いつか戻って、外で学んだことを伝えたい」と考えていました。当時から介護業界にサービス業の視点を取り入れたらもっとよくなると感じていたんです。
保険会社に勤めていた期間に介護講師の副業を始め、少しずつ準備を進めていました。保険会社を退職後、副業先の社長から「デイサービスの管理者ポジションが空くのでやってみませんか?」と声をかけていただき、「これはチャンス」と飛び込みました。
──約10年ぶりに介護業界に復帰して、どのようなことを感じましたか?
そのデイサービスでも経営側と現場の関係がぎくしゃくしていて、「あまり変わってないな……」というのが率直な感想でした。入職したときも「経営者が連れてきた人間」として色眼鏡で見られ、マイナスからのスタートでした。
──再び人間関係の問題に直面したんですね。
そうですね。でもそこでは徐々にスタッフさんからの信頼も得られました。例えば、台風が直撃する予報が出たとき「利用者さんもスタッフも危ないから休みにしよう」と現場で判断しました。社長は「売上が」と反対しましたが、「事故が起きたらどう責任を取るんですか」と、押し切ったこともあります。
一方で、社長との関係は徐々に悪化しました。経営の経験があったので、社長に対しても率直に意見を述べていて、そうした姿勢が疎まれる原因となったんです。
そんななか、コロナの影響を受けて拠点を縮小することになりました。人員整理がおこなわれ、社長と対立していた私は解雇の対象になったんです。でも、この解雇の経験が、フリーランスとしての活動を始めるきっかけにもなりました。
──ご家族がいらっしゃるなかでのフリーランスへの転身は、大きな決断だったのではないでしょうか?
突然フリーになるのはリスクがあるので、有料老人ホームへ入職し、働きながら準備を進めました。実務者研修の講師資格を取得したり、講師の副業を増やしたり、少しずつ土台を固めていったんです。
ある日奥さんから、「仕事を辞めようと思う」と相談を受けました。そのタイミングで「自分もフリーランスになろうと考えていて……」と打ち明けたところ、理解してもらえたんです。それをきっかけに、独立に向けて本格的に動き出しました。
介護が好きかはわからない。それでも続ける理由
──現在はフリーランスとして多様な活動をされていますね。
介護講師、介護職向けのコーチング、そして介護保険適用外サービスのなんでも屋をしています。人の可能性を引き出す活動をしているという感じですね。
──講師業とコーチング業、両方とも人に関わるお仕事ですが、どのような違いがあるのでしょうか?
講師は知識を「教える」仕事ですが、コーチは可能性を「引き出す」仕事です。介護の本質はコーチングに近いと思っています。利用者さんの意欲を引き出し、豊かな人生をサポートするのが介護職の役割ですから。
しかし、介護職が利用者さんの意欲を引き出す一方で、介護職自身が仕事への意欲を失い、現場を去ってしまうケースも少なくありません。介護職一人ひとりがやりがいを持ち、長く仕事を続けられるようサポートしたいという思いから、キャリアに悩む介護職を対象としたコーチ業を始めました。
──先ほど「なんでも屋」のお話が出ましたが、具体的にはどのようなサービスなのでしょうか?
「ケアビレッジ」という介護保険外の家事代行サービスを運営しています。「介護」「福祉」という言葉を使うと、特別なことのように聞こえてしまうので、気軽に頼っていただけるよう、あえて「なんでも屋」を名乗っています。

また、この事業にはもう一つの目的があります。それは、福祉の仕事に携わる人をつなげて、新たな働き口を創出することです。その一環として、オンラインコミュニティも運営して、仲間同士で情報交換しながら新たな活躍の場につなげています。
──どれも介護関連のお仕事なんですね。そこまで介護にこだわる理由は介護が好きだから、ですか?
「介護が好きか」と聞かれると正直わかりません。「高齢者が好き」というのも個人的にしっくりこない。でも「人」は確実に好きですね。
さまざまな経験をとおしてわかったのは、私が本当に楽しいと感じるのは、人が持つ力と意欲を引き出し、誰もが対等な立場で、平等に過ごせる空間を創り出すことだということです。
──最後に、阿保さんご自身もさまざまな挫折や転職を経験されてきたなかで、キャリアに悩んでいる介護職の方々にメッセージがあればお聞かせください。

介護業界は閉鎖的な側面がまだ残っており、「自分にはこれしかできない」「ここの正社員でいなければ」などの固定観念に縛られている人が多いように感じます。
でも、40年、50年働くとして、嫌な仕事じゃ続かないですよね。私は「嫌なことを我慢して続けること」が頑張ることだとは思いません。だったら、やりたいことをやったほうがいい。本当の「頑張る」とは、自分のやりたいことを追求し続けることです。
さまざまな失敗や挫折を経験しましたが、それが今では武器になりました。みなさんにも、自分らしく頑張れる働き方を見つけてほしいと思います。