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話を聞いたのは居宅介護支援事業所 管理者のSさん
知的障がいを持つ叔母を見て育ち、障がい者や福祉の分野に興味を持ったと言うSさん。福祉学を学べる大学へ進学し、晴れて障害者施設で働き出すも、20代は転職を繰り返しました。さまざまな世界を見た経験は無駄ではなかったと話すSさんに、これまでのキャリアの変遷とそこで感じたこと、これからについて聞きました。
就職するも「俺はこのままでいいのか……」
──まずはこれまでの経歴をざっくりと教えていただけますか。
Sさん:大学を卒業してから知的障がい者の授産施設で働き、それから何度か転職しています。
──知的障害者授産施設とはどんな施設ですか?
知的障がいを持っていて雇用されることが難しい人に生活支援や職能訓練をする施設です。現在でいう就労継続支援A型というやつですね。ここでは職業指導員をしていました。
実は大学3年の早い段階で別の一般企業から内定をもらっていたんです。でも、業績の悪化で希望の部署に配属できないかもしれないという話があり、辞退しました
改めて大学の求人を見に行ったところ、この授産施設の求人を見つけて応募しました。障がいを持った人でも働けるということに興味を持ったんです。
──3年ほど働いて辞めた理由は?
主に成人が通う施設なので高齢の保護者も多いんです。そんな方たちに「先生、先生」と呼ばれて、「大学を卒業してまだ何もできないのに先生って……俺はこのままでいいんだろうか」と違和感があったんです。
それに刺激が少ない職場だったし、周りの友人は社会人経験を積んで給料も上がっていたし。それで外へ目を向けることにしたんです。
──ステップアップしたいと考えたんですね。それで転職エージェントに登録したと。
障がい者雇用の特例子会社で契約社員として働きました。とある企業が障がい者の雇用率を達成するために菓子製造部門を立ち上げることになり、私が採用担当の目にとまりました。経験がフィットしたんでしょうね。
──ここではどのような仕事をしていたんですか?
現場での作業指導などが中心でした。そもそも工場を作るところから始めたんです。
──工場を作るってすごいですね。1年ほどで辞めていますが、その理由は?
工場を作って採用して指導をしてと、初めは変化に富んでいておもしろさを感じていました。
でも次第に毎日が単調になり、以前の福祉施設とあまり変わらないように思えてきました。それに作ったお菓子はほとんどが余ってしまっていて。
──余る? どういうことでしょう?
ノベルティーとして社内で配ったり、地域で販売したり、いろいろな取り組みを模索しました。それでも余ってしまうんです。
当時は障がい者の雇用率を達成して仕事をさせておけば、企業としてはそれでOKだったんでしょうね。
──生産・販売が目的ではなく、雇用率の達成だけが目的の工場だった。
そうだと思います。国は企業に障がい者雇用率のノルマを課していますから。
不動産業界でボロボロに
──次は不動産会社ですね。福祉から不動産ってかけ離れた業界ですが、もともと興味はあったんですか?
多少ありました。福祉の仕事じゃなくても社会貢献できそうと思ったのと、未経験可の募集だったので応募したんです。働き方、飲みに行く場所、扱う金額、どれを取っても違って刺激的でした。
──どんなお仕事をしていたんですか?
投資用マンションの販売営業です。主なターゲットは地方公務員でした。当時スカイツリーが建設されていて「窓からスカイツリーが見えますよ」などと言って売っていました。
でも実際には遠くに少し見えるくらいで、電車で何駅も離れていて。こんな感じで都合の良いことだけを伝えて、悪いことは隠しながら数千万円のマンションを売っていたんです。次第に自分の中でブレーキがかかってきて続けられなくなりました。
──良心の呵責というやつですか。
そうですね。今思えば浅はかだったかもしれません。休みなく働いてボロボロになったので、30歳になる前にやりたいことをやろうって決めました。
──そのやりたいことが次の家電の販売員だった?
ここも派遣会社の紹介で、家電量販店の販売員になりました。やりたいことっていうのはホスピタル・クラウンの活動です。その両立と収入確保のために派遣が都合よかったので。
道化師だからこそできる“非言語コミュニケーション”
──ホスピタル・クラウンって何ですか?
病院で活動するクラウン、道化師のことです。小児科病棟などでパフォーマンスして子どもを喜ばせたり、心を癒したりするんですよ。大学時代に『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』という映画を観て興味が湧いて、ちょっとずつ習っていました。
老人ホームや地域のお祭りでパフォーマンスをしたりしていました。あと、友達の結婚式などでバルーンアートを披露したりとか。
──へぇーそういう活動もされているんですね!
日本では赤い鼻をつけて派手な格好でパフォーマンスをする人のことをピエロっていいますよね。ピエロはクラウンの種類の一つです。
ああいう言葉に頼らないコミュニケーションって、私の中ではとても大きいものなんです。言葉だけでは知的障がい者の方にも伝わりませんし、クラウンの活動だからこそ病気や障がいのある方に“伝えられること”があるのかなって。
ただ、今はコロナ禍で制限があるので活動が難しいですよ。どうやってホスピタル・クラウンの活動をしていこうかは考え中です。
──悩ましいですね。当時はそういった活動をしながら販売の仕事をおよそ4年続けました。振り返るとどうでしたか?
めちゃくちゃ楽しかったです。説明書を読んだり機能を知るのが好きなんですよ。ノルマはありましたが、達成できればおもしろいし。音楽や演劇活動をしている人もいて刺激をもらいました。
将来を見据えて福祉業界へカムバック
──そんな楽しい職場をなぜ辞めてしまったんですか?
結婚です。社会福祉士の資格を活かして正社員として働ける、かつ将来性がある仕事は何か考えるようになったんです。そんなとき、たまたまケアマネジャーをしている友人と話す機会があって今の会社を紹介されたんです。
介護事業所なんですけど、いろんなサービスを展開しているし、研修もしっかりしていると評判だったので働くことにしたんです。まずは経験を積むという意味でデイサービス生活相談員としてスタートしました。
──福祉に見切りをつけたのに、福祉資格に助けられたんですね。その後はこの会社で順調にキャリアを積んでいます。
3年半くらい勤めてケアマネジャーの受験資格を得られたんで、一発で試験に受かって、社内での異動の希望を出しました。
──さらっと言いましたけど、一発合格ってすごいんじゃないですか。
試験は大変でしたけど、1人目の子どもが産まれるタイミングで、奥さんが里帰り出産だったのでゆっくり勉強できたんです。
とにかく問題集をひたすら解いて、模擬試験を2回ぐらい受けましたね。社会福祉士資格を持っていたので、何教科か免除されたのも大きかったです。
──ケアマネジャーを経て主任ケアマネジャーになったと聞きました。ケアマネジャーはケアプランを作るのが主な業務かと思います。主任ケアマネジャーはどのような仕事をするんですか?
地域での活動が求められる立場です。広い範囲でのネットワークづくりとか、困難なケースの受け入れ、事業所の中での指導的役割、近隣事業所も含めた指導的役割などでしょうか。
会社に属しつつ地域のためにも働く必要があるので、そういった活動に熱心になれる人もいれば、「自分たちの会社の仕事だけすればいい」という考え方の人もいます。
──地域での貢献度って、誰がどう評価するんですか?
地域包括支援センターかな。地域の事業所の主任ケアマネに研修会の声をかけたりとか、一緒に研修会を参画したりといった立場なので。
積極的に活動していると「どこどこの主任ケアマネさんは良い、よく仕事をしてくれる」って評判になるんじゃないかな。
──人当たりや営業力によっても左右される?
あると思います。もちろん案件をこなす数もそうですけど、本当に困難なケース、枠には収まらない課題っていうのも非常に多いので、そういう問題に取り組んだりすると名前が売れていくのかなと思います。
「世の中には悪いやつもいる」それもいい学び
──これまでいろいろな仕事を経験し、遠回りながら福祉に戻ってきました。異業種の転職で得たこと、気づいたことはありますか?
家電量販店やクラウンの活動ではコミュニケーション力や提案力、折衝能力なんかが鍛えられました。ケアマネジャーも説明して伝えるという仕事なので、非常に勉強になった期間でした。
わかりやすく伝えて相手の心を動かすコミュニケーション、ケアマネジャーにも管理者にも必要な力です。
不動産の会社で学んだことは、きれいごとだけではないということですね。
──きれいごとだけではない、その心は?
社会には営業成績や給料、目標を達するために手段を選ばない人もいるということ。心のきれいな人だけではなく、悪いやつもいる。当時働いていた不動産会社の幹部がそうでした。
でもそういう社会経験が強みになることもあります。利用者さんご家族は50代、60代の企業勤めをしている方なので、同じ目線で会話ができていますし。
不動産会社と家電量販店の5年間は決して無駄ではなかったです。
──経験は武器になりますもんね。ではこれからの展望があれば教えてください。
私は居宅介護支援事業所の管理者という立場です。複数人の職員がいて、中には小さい子どもを育てている人もいます。基本的には残業させられないし、したくないという人もいます。
なのでワークライフバランスを取れる職場を実現したいと思っています。それが私の使命ですね。そうすればまたホスピタル・クラウンに当てられる時間も増えると思いますし。