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介護業界では、ある施設での「常識」が、別の施設では「非常識」とされることは珍しくありません。そんな状況に、戸惑う人も多いのではないでしょうか。
医療機器メーカーから転職後、さまざまな介護現場を見てきた高橋さんは、「たった一つの正解はない」と語ります。では、判断に迷ったとき、何を基準にケアをしているのか。話を伺いました。

なぜ医療機器開発者が介護業界に?

──まず、高橋さんの経歴についてお聞きします。学生時代は海外で過ごし、新卒では医療機器の開発をされていたそうですね。
高橋さん:はい。小学5年生からイギリス、高校・大学はアメリカで過ごし、コロンビア大学では物理を専攻しました。帰国後は国内の医療機器メーカーに就職し、製品の研究開発や海外企業との協業プロジェクトなどを担当していました。
──もともと医療に興味があったのでしょうか?
いえ、メーカーに入社したきっかけはカメラでした。学生時代、祖父からその会社の一眼レフを譲り受けたことをきっかけに、写真の世界にのめり込んだんです。
ただ、面接で「弊社では今後カメラに注力しない予定です。医療機器の仕事をしませんか?」と言われてしまって(笑)。最初の仕事は内視鏡の電気系統の開発でした。
──開発職と介護職では仕事内容が大きく異なりますが、なぜ介護に関心を?
はじめて介護に触れたのは高校時代です。友人に誘われ、ニューヨークの老人ホームでお手伝いをしていました。お茶出しや掃除といった簡単な仕事しか任されていませんでしたが、自分の知らないことをご利用者さまとの会話から学ぶこともあり、「介護っておもしろいかも」と感じたんです。
それから時が経ち、医療機器メーカーに勤めて3年が経ったころのことです。研究に行き詰まってしまい、「週末に何か別のことをしたい」と考えたところ、老人ホームでの経験を思い出しました。そこで、近所の老健(介護老人保健施設)のアルバイトに応募しました。
「自分には無理だ」と思った介護職1日目
──現場に出た印象はいかがでしたか?
アルバイトの初日、初めて認知症の方と対面してショックを受けました。ニューヨークの施設では元気な方の話し相手が中心でしたので、認知症の方の弄便(ろうべん。排泄物を手で触ってしまう行為)などを目にして、頭が真っ白になったんです。
「これは自分には無理だ」と思い、看護師の方に「辞めます」と伝えました。
──初日でですか?
ええ、こんな仕事は自分にはできないと思ったんです。ところが「まだ初日でしょ! もう少しやってみなさいよ」と引き留められ、ご利用者さまの話し相手から始めることになりました。半年ほど経つと、笑顔や感謝の言葉をいただけるようになり、少しずつ仕事が楽しくなってきたんです。徐々に身体介助もできるようになり、本業が忙しくなるまでの約3年間、週末はその施設で過ごしました。
それから10年ほど本業に集中していましたが、職場の先輩に声をかけられたことをきっかけに、今度は訪問介護のアルバイトを始めました。そこで数年にわたって障がいのある方や高齢者の生活に関わるうちに介護の奥深さに魅了され、「定年後は介護を本業にしよう」という思いが強くなっていったんです。
手順どおりの作業よりも大切なもの

──医療機器メーカーに勤めながら介護のアルバイトをして、戸惑ったことはありましたか?
訪問介護のアルバイトで痛い目を見たことがあります。
医療機器メーカーでは、納期や安全性など厳格な基準がありましたから、介護現場でも手順どおりに完璧にこなすことを目指していました。ある訪問先で、マニュアルどおりに入浴介助をおこない、時間も守り、事故もなく終えたのですが、事務所に戻るとサービス提供責任者から「高橋さん、あのご家庭の担当は別の者に変更になりました」と告げられたんです。
──なぜ担当を外されたのですか?
ご家族への対応が良くなかったんです。訪問先で息子さんから「父はどうでしたか」と聞かれましたが、もう次の現場のことを考えていて、上の空で返事をしていたんです。そこで、介護職の仕事はマニュアルどおりの作業ではなく、いかに「生活の支え」となるかが重要だと痛感しましたね。
「前の施設と違う」にどう向き合うか
──なぜ、医療機器メーカーを辞めて介護職に就いたのでしょうか?
メーカーで担当していたプロジェクトが一区切りついたので、自分の中で「もう十分やりきったな」という感覚を持てたんです。早期退職制度があったので、これは良いタイミングだと思い退職を決め、50代で新人介護職として介護付き有料老人ホームに入職しました。
──それから、7年間で5施設も経験されています。医療機器メーカーは約26年間続けていましたが、なぜ施設を転々とされているのでしょうか。
さまざまな考え方を身につけたかったので、一つの職場にとどまろうとは思わなかったんです。
前職では、海外の技術者と安全基準を巡って議論したこともありました。国が違えば設計上の考え方も違ったので、最初は互いに「自分たちが正しい」とぶつかり合っていました。しかし議論を続けるうちに「相手の考え方も正しいんじゃないか」と気づくようになったんです。
同じ目的でもアプローチの仕方は無数にあります。だからこそ、何かを学ぶときは別の視点も取り入れるべきと考えたんです。
──介護の現場でも、施設によって考え方が違いますよね。
ええ。例えば流動食を食事とみなして食後に水分を促す施設もあれば、水分とみなして追加水分は不要とする施設もあります。前者は脱水予防、後者は水分過多の防止。ケースバイケースなので、どちらが正しいと言い切ることはできませんが、どちらも「ご利用者さまのため」という目的は同じです。
──複数の施設を経験して、考え方の違いに戸惑ったことはありませんか?
その違いこそが、介護職のおもしろさだと思います。「やり方が違う」と拒絶するのではなく、「なぜそのやり方なのか」を考えてみる。一度相手の意見を受け入れることで、自分の知識の引き出しが増えます。それを楽しむ姿勢があれば、ずいぶん楽になりますよ。
「いい介護」ってなんですか?

──さまざまな介護講師の方に伺っているのですが、高橋さんにとって「いい介護」とはどんな介護ですか?
あえて言うなら「安心してもらえる介護」です。
例えば、現場では介助を拒否されるご利用者さまもいらっしゃいますが、それは多くの場合、不安の現れです。しかし、信頼関係を構築して安心していただければ、「あの介護職員にお願いしようかな」と言ってもらえるようになります。
──では、信頼関係を構築するにはどんなことが重要だと思いますか?
コミュニケーションにおける誠実さです。私はどれだけ忙しくても、呼び止められたら必ず足を止めて返事をします。「今この業務中なので、10分待ってくださいね」と伝え、必ず時間どおりに戻る。戻れないなら、ほかの職員に伝言を頼む。そうすれば、ご利用者さまに「忙しくてもあなたのことを忘れていませんよ」という気持ちが伝わるんです。
──ひと言あるかないかでも、受け取り手の気持ちは変わりますよね。
そうなんです。逆に「ちょっと待ってて」と言ったきり戻らないと、不安や怒りからナースコールを押してしまう方が増えてしまいます。信頼関係があれば、万が一小さなミスや事故があっても、誠心誠意対応すれば納得していただけることが多いんです。
辞めるか迷ったときに整理したい3つのこと
──信頼関係が大切だとわかっていても、関係の構築に難しさを感じる職員もいると思います。
多くの場合、それは職員が悪いのではなく、環境に起因すると思います。私も先輩から「早く早く」と言われて、何もかも急がなければならない施設を経験したことがあります。
そうなると、食事介助では口を開けてもらえなかったり、移動介助で動こうとしなかったり、ご利用者さまも抵抗を示します。そんな状態が続けば、誰だって心が折れてしまいますし、この仕事を続けていく気力も奪われてしまいますよね。
──そういった環境に置かれたらどう脱却すればいいのでしょうか?
辞めて環境を変えてみてはどうでしょう? でもさまざまな事情で簡単には辞められない方もいますよね……。もし退職の決断ができない場合、3つのことを整理してみてください。
- 今ある環境で学べることは何か
- 今の環境で大変なことは何か
- 自分にとって嫌だと思うことは何か
これらを整理すると、自分のやりたいことが見えてくると思います。やりたいことが見つかると、次に進むきっかけに出会いやすくなりますし、前向きな言葉が出やすくなりますよ。
ただし、いじめやパワハラを受けている場合は、自分の心が疲弊する前に辞めてください。自分の心を殺してまで頑張る必要はありません。そういったことに耐える努力ではなく、自分のやりたいことに向かって努力してほしいと思います。
──最後に、読者の介護職へメッセージをお願いします。
私の座右の銘は「介護に勇気と希望を」です。勇気と希望は、実は表裏一体で紙一重だと思っています。勇気がないと希望は見えませんし、希望がないと勇気は持てませんから。
ご家族やご利用者さまに勇気と希望を届ける私たちが、まずは笑顔でいられるように。自分を大切にしながら、目の前の人と向き合ってください。
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