話を聞いたのは、ベンチャー企業から理学療法士に復職したdaikiさん
daikiさんは新卒で入職した病院から障害者向けサテライトオフィスを運営するベンチャー企業に転職。さまざまな失敗や成功を経て再び理学療法士として働く道を選びました。「転職したおかげで視野が広がった」というdaikiさんに、大切にしていることやキャリアに対する考え方について話を聞きました。

転職のきっかけとなった障害学との出会い
──就職活動はどのように進めたんですか?
それがちょっと変わっていて。大学に系列病院がいくつかあったので、大学から「ここに行ってください」みたいな(笑)。
──就職先というより配属先みたいな感じで決まるんですね。希望は確認されるんですか?
急性期・回復期・維持期・生活期とか一応希望は聞いてくれますが、希望が通らない子もいます。中には自力で(就職先を)見つける子もいたんですけど、大半は言われるがままでした。
「新卒は急性期か回復期だ」みたいな風潮があったんですが、僕自身は介護保険領域を希望していて。そしたら提案されたのが回復期も併設している病院だったのと、その病院の課長が地域リハビリに詳しい方だったので、自分が興味のある分野についてたくさん学べるかと思ってそこに決めました。

──急性期や回復期を希望する同級生が多いなか、介護保険領域を希望していた理由は何だったんですか?
僕のおじいちゃんは目がほとんど見えなくて。小学生の頃、家族で旅行に行ったときにパーキングエリアでおじいちゃんが「トイレに行きたい」って言うので、僕が手を引いてトイレまで連れて行ったんです。そしたら泣いて喜んでくれて。
自分では大したつもりなかったのにそんなに喜んでもらえるんだって。それならもっと深く関わったときによりよいものができるのかなって思ったのがきっかけでした。
当時は“介護”って漠然と考えていたんですが、高校生になって進路を決めるときにリハビリテーションにとくに興味を持って。進学先もおばあちゃんがリハビリに通っていた大学病院だったんです。
──では、社会人になって「思ってたのと違うな」みたいなギャップは?
あんまりなくて、最初から楽しかった印象ですね。
──では、なぜ転職しようと思ったんですか?
理学療法士になって3年目に福祉大学の通信教育部に入学して、障害学について勉強する機会があったんですけど、授業で先生がこういう錯視の図を見せながら「障害は周りが作っている。違いを際立たせている周りの存在がある」って説明してくれたんです。

「今の社会も(この錯視と)一緒だよね。周りが違いを際立たせたり、生きづらさを作ったりしているところがあるよね」って話にすごく感銘を受けたというか。
実際、病院にいたときにミーティングでなかなか意見が言えない同期がいて、周りから「あの子なんにも言わないよね」「意見がない人なんだね」ってレッテルを貼られちゃってたんですけど、僕と2人でいるときは結構意見を言ってくれたんですよ。
だから自分がミーティングの司会になったときに、意見交換で付箋を使ってみたらその子もたくさん意見を出すことができて。そのシーンが自分の中で印象に残っていて、やっぱり環境とかルールによって行動は変わってくるんだなって。
──なるほど……!
それにちょっと「東京に行ってみたいな」って憧れもあって。イベントに参加するために頻繁に東京に行っていたこともあって「もう住んじゃえ」って(笑)。きっかけはそんな感じだったんですけど、仕事を探すなかで「理学療法士じゃなくても自分のやりたいことはできるのかな」って思うようになりました。
オフィスカジュアルとは? 初めてだらけのベンチャー勤務
──それで見つけたのが障害者雇用支援の会社だったんですね。
そうです。民間企業は障がい者を2.3%以上雇わなければならないんですけど、人事の方は障がい者の方とどう関わればいいのかわからない。障がい者の方も勤務環境が合わない。すると職場になかなか定着できず、雇用率を満たせなくなる。そういった課題に対してアプローチする会社でした。

──具体的にはどういった支援を?
企業が障害者雇用枠で採用した方々に、僕らの会社が提供するサテライトオフィスで働いてもらうっていう形です。オフィスはもちろんバリアフリーになってますし、発達障害で聴覚が過敏な方もいるのですごく静かです。
企業ごとに部屋が分かれていて、僕らは緊急対応したり、定期的に面談したり、その様子を企業に報告したり。障がい者の方と企業の間に入ってやりとりするのが仕事で、アパレルとか外資系コンサルとか結構大きい企業を担当させてもらってました。
障がいを持つ方と接する機会はこれまでもあったんですけど、企業側の人とコミュニケーションするところが理学療法士とは違うなあって思いました。
──いわゆるビジネスマナー的なものですか?
はい、苦しみましたね(笑)。実習のときから普段着で出勤してケーシーに着替えてっていうスタイルに慣れていたので、最初は何を着ていけばいいのかよくわかんなくて。
──これまでスーツを着る機会は?
大学の入学式とか卒業式とか、そういったイベントくらいじゃないかな。で、なおかつ「オフィスカジュアルで」って言われて。
──一番悩むやつですね。
ネットで調べても「これはダメじゃない?」みたいなのが結構出てくるし、ベンチャー企業だったので本社にはラフな格好をしている人も多かったんですよ。それで2日目に「こんなんでいいのかな?」ってスニーカーで行ったら「ダメだよ」って叱られました(笑)。
──本社と事業所ってまた違いますよね。仕事で誰に会うかによって。
そうなんですよね。今思えば当然なんですけど、当時はそれもわかってなかったので(笑)。上司が熱血だったので名刺の渡し方からめちゃくちゃ指導されました。一番苦しんだのはメールですかね。1通送るのに何十分もかけて、上司にも確認してもらって。
そういう期間が数ヶ月あって「何でこんなことしないかんのだ」って思ってたんですけど、今思えばすごい大事だな、役に立っているなって思います。
本来あってはいけないことだと思うんですけど、何人もの方と“療法士と患者”として関わっていると、自分でも気付かないうちに上下関係のような空気ができてしまっているように感じていて。ビジネスの場で相手を立てることをより深く学んだことで、コミュニケーションの幅が広がったと思います。
最後まで意見の合わなかった3人が起こした奇跡
──印象に残っている仕事はありますか?
とある企業の新規オフィス立ち上げのピンチヒッターとして期間限定で別のオフィスに勤務することになって。それぞれ発達障害と視覚障害と精神疾患を持つ3人が採用されてオフィス業務を始めることになったんですが、3人のコミュニケーションがもうぜんぜん合わなくて……(笑)。
──3人とも障がいの特性がぜんぜん違いますもんね……。
発達障害の子が最年少で、残りの2人は4〜50代くらいだったんですが、発達障害の子が「やり方が違う」とか「仕事が遅い」とかストレートに言葉にされるので、それをきっかけに僕も部屋を出てしまいたくなるようなすごい言い合いになる場面がめちゃくちゃ多くて(笑)。
けど、この会社に入った経緯的に「人に問題がある」とは考えたくないっていうのが根本にあったので、否定だけはしないようにして。立ち上げからの3ヶ月間、コミュニケーション研修をしたり現状について人事の人に相談したりしたんですけど、それでも絶対バチっちゃう(意見がぶつかってしまう)っていうか。結局決め事を1個もできずに最終日を迎えてしまいました。
自分では「ぜんぜん上手くいかなかったな」って思いながら「明日からもとのオフィスに戻ります。今までありがとうございました」って挨拶したら、3人が「今までありがとうございました」ってプレゼントを渡してくれたんですよね。

船の形をモチーフにした横浜みやげだ
──バチってた3人が「プレゼントを買う」っていうミッションをコンプリートしてる!
それがめちゃくちゃ嬉しくて(笑)。今まで絶対意見がバチって何も決められなかった3人が初めて何を買うか、誰が買うか、お金はどう分担するか、どう渡すかを決めて……、今でも鳥肌立つんですけど。
──これがまた3人にとっていいきっかけになっているといいですね。
そうですね。正直きつかったですけど、諦めずに考え切れたのがよかったのかなと思います。思い出すと今でもすごいうるっときちゃいます。
サテライトオフィスは障害者雇用のあるべき姿か?
──障害者雇用って、実際にその企業のオフィスで働くのかなと思ってたんですけど、そういうふうに障がい者の方だけ別にオフィスが用意されていることが多いんですか?
多いのかどうかはわからないんですけど、やっぱり通常のオフィスだと人も多いし電話もじゃんじゃん鳴るし、発達障害の人や聴覚過敏の人にとってそういう環境はしんどいんですよね。なのでこういったサテライトオフィスを提供している企業はほかにもたくさんあるみたいです。
──恥ずかしながら、そういうサービスがあることを初めて知りました。
こういう形で離れたオフィスで働いていて、企業の人がたくさん関わっているわけではないことに対して「よくない」みたいな声もあったりするんですけど……。

──難しいですね。インクルーシブな職場、いろいろなバックグラウンドを持った人が一緒に働けることが理想だとは思うんですが……。
前職の事業のあり方が理想的ではないっていう声もすごくわかるんですけど、理想に至るまでに必要な過程なのかなって僕は思っていて。離れた場所で働いてみて「こういうことができるんだ」ということに気が付けば、企業の方の見る目も変わってきて、理想に近づいていけるのかなということは感じていたので。
──関わりを持ち続けるなかでその人の得意なことが見つかれば、また別の仕事につながっていくかもしれませんね。
そういうことを企業側に伝えていくのが仕事だなと思いました。
発達障害の方の中には周りが見えにくくなっちゃう人もいるんですけど、それを「没頭できる性格なのでこういう作業が向いているかもしれません」って伝えると「そういう捉え方もありますね」って視野が広がったり。
精神疾患の人も「甘えている」って思われやすいんですけど、心の底には「頑張りたい」っていう思いがあるので、そこをどう支援していくかっていうふうに話題を持っていったりとか。
──障害者雇用枠で働く方の声を代弁しているんですね。
それも大事だなって。でも現実はなかなかうまくいかないことが多い(苦笑)。極端な話「法定雇用率を満たすためにただいてくれればいい」って仕事がぜんぜんない企業もあれば、逆に「頑張ってほしい」って業務過多になっちゃう企業もあって。
──バランスが難しいですね。
そうなんです。障がい者と雇用主、双方の思いを知っているからこそきついときもありました。
ベンチャー社員から再び理学療法士に
──ベンチャー時代を振り返ってどうですか?
いい経験でした。転職して「世の中広いんだな」って知れたのが大きかったと思います。
病院だと医療従事者としか関わらないんですけど、転職したら一緒に働いてる人も元ホテルマンとか元ウェディングプランナーとか元マクドナルド店長とか。取引先の企業に行くとドラマに出てくるようなおしゃれなオフィスで、「こんな田舎者がいてもいいのかな」ってめちゃくちゃ緊張したのを覚えてます(笑)。
転職する前は「医療関係の仕事にしか就けないのかな」って思ってましたけど、人と丁寧に関わることってどこに行っても共通というか。もちろんできないこともいっぱいありましたけど、名刺交換もメール打つのも練習すればできるようになりましたし。
今は理学療法士ですけど「理学療法士じゃなきゃいけない」っていうのがあまりなくなったっていうのを感じます。
──それがなんでまた理学療法士に?
理学療法士の道に進むきっかけになったおじいちゃんが亡くなって。最期は施設で過ごしてたんですけど、すごく良心的な施設で、コロナ禍だったんですが条件付きで外出を許可してくれて。施設にいるときは表情が暗かったんですけど、おじいちゃんの好きなお寿司を家族と一緒に食べに行ったらすごくいい笑顔になって(笑)。その様子を見たら昔を思い出して「戻ってみるのもありかな」って。
──おじいさんがきっかけだったんですね。
はい、資格があるので戻れないことはないし。不安はあったんですけど、前職では行動分析学*や心理療法の勉強もしてたので、以前とはまた違ったアプローチができるかなと。それに自分のような経験をしている人は多くないと思うので、また新しい職場でいろいろな見方を自分から共有したいし、相手からも共有してもらえたらいいなって。

今年度(2022年度)で最後となるルートGで見事に合格した
──仕事を探すときはどんな軸で探しましたか?
一応、訪問リハビリがいいなと思って。
リハビリって「◯◯ができるようになる」って華やかな目標を立てることが多いと思うんですけど、もちろんそれも大事なんですけど、日常の中に小さな幸せを見つけていくのも大事だなって。通所リハだと非日常になるじゃないですか?
──そうですね、ふだん生活している空間ではないので。
訪問リハビリだとその人の家の中に置いてあるもの、きれいさとか汚さとかにもいろんなエピソードがあって、その人のリアルというか生々しさを感じられるおもしろさがあって、それが“自分らしさ”につながるのかなと思うし。
誰とどこでどんな仕事をしようと、根っこは変わらない
──“自分らしさ”というのは?
人との関わりに興味があるというのが根本にあるんだろうなと思います。リハが終わったあとのちょっとした触れ合いで見たことないような笑顔を引き出せたり。
生きづらさを感じている人に「私は私でいいんだな」って思ってほしいし、自分自身そう思いたいし。
──daikiさん自身が生きづらさを感じることはありますか? あるいは過去にありましたか?
そうですね……。自分で言うのも恥ずかしいんですけど、昔から結構「かわいい」って言われることがあって(笑)。でも内面はそうじゃないので、僕がポロってなにか言うと「そんなこと言っちゃうの???」みたいな反応が返ってくるんです。
それが嫌で「かわいいと思われるように振る舞ったほうが楽だ」って周りに合わせてやってきて。素を出せたのはごく一部の仲のいい友達だけでしたね。その友達からは「腹黒」って呼ばれてたんですけど、「腹黒」って言われるのはすごく嬉しかったです(笑)。素の自分を出して関われているんだなと感じたので。

──やっぱり表面が白ければ腹の黒さが際立つんですね(笑)。
今は年齢的に「かわいい」って言われることもほとんどなくなって、すごく楽になりました。でも、この経験のおかげで人の心を読むというか、人の視点に立つ力は磨かれたかもしれません。
リハビリでも「その人らしさ」って表現をしますけど、そこにすごく興味を持っているんだろうなと思います。転職もしましたけど根本はずっとそこにある。だからたぶん今後も理学療法士じゃなくてもいいんだろうなって思っているんですが、今は資格があるんでありがたく(笑)。
──では最後に、読者へのメッセージに代えて一連の経験で学んだことを教えてくれますか?
そうですね……。
──「資格持っておくといいぞ」っていうのでもいいです(笑)。
それはあります(笑)。資格があるから転職のハードルも低かったというか。もともと理学療法士に戻る気はなかったんですけど、戻る可能性も温存できるので。甘く見てる感じがするかもしれないけど、資格は学生時代に頑張ってきた証拠でもあるので、頼れるところは頼っていいと思います。
それから、リハビリって評価→考察→アプローチ→評価の繰り返しなんですけど、それってリハビリだけじゃなくて世の中全部に当てはまるんだっていうのは、ビジネスを経験するなかで感じたので、これから他業界に転職を考えている人には「根本の考え方は同じなので大丈夫だよ、十分戦えるよ」って伝えたいです。
理学療法士に戻るときは正直めちゃめちゃ不安だったんですけど。高齢者の方とうまくしゃべれるかな、うまく検査できるかな、やり方忘れてないかなって。でもブランクがあっても人間なんだかんだ備わってる面がある。ゼロじゃないんで、思い出す作業だけだから。
あとはさっきも言いましたけど、転職を通じて備わった視点もあるはずなので、あまりない経験をさせてもらったということは自分の強み、個性と捉えていけばいいのかなと思います。
「一概に(医療専門職から)異業種に転職したほうがいい!」とは言えないですけど、僕自身は非常にいい経験ができたと強く思えています。