1.今日の転職経験者はこんな人

——簡単に自己紹介をお願いできますか?
義肢装具士として働いて11年目で、現在35歳です。
夫と子ども2人と私で、関西で暮らしています。
——まずTさんの幼少期から教えてください。どんなお子さんでしたか?
大人しい子どもだったと思います。
習い事は結構たくさんしていて、習字、ピアノ、スイミング、そろばん、絵画教室に通っていました。
当時から工作は好きでしたね。
——部活動は何かされていましたか?
中学校がテニス部、高校が剣道部でした。運動はそんなに得意ではないんですけど。
——高校卒業後は、義肢装具士になるための学校へ進学を?
それが違いまして、◯◯大学(国立大学)に入学しました。
義肢装具士の専門学校に行ったのは、大学を卒業したあとなんです。
——そうなんですね! ◯◯大学ってかなりの難関校じゃないですか。どうしてまた?
よく言われます……(笑)。
入ったのは工学系の学部で、プログラミングの授業が中心だったんですけど、正直あまり面白くなくて。パソコン上で完結する作業よりも、実際に手を動かしながら作るほうが好きだったんですよね。
なので4年生から入る研究室では、ロボット関連の開発をしている研究室を選びました。ロボットは昔から結構好きで、ロボコンとかもよく見ていたので。
その研究室の教授が、義足を履いていたんですよね。股関節離断で股関節から義足を使用していて、自らが被験者になって研究をされていました。義足の動きにコンピューターシミュレーションを組み込むようなことをしていて、今の臨床で使われている義足とはぜんぜん別物ではあったんですけど。
病院との共同研究の過程で初めて義肢装具士の仕事を知りました。そして活動を続けるうちに「私も義肢装具の作り手になりたい」と考えるようになっていきましたね。
——そこから義肢装具士の道を志すようになったんですね。でも大学卒業後から専門学校に行き直すというのは、なかなか勇気のいる選択だったのでは?
義肢装具士になるのに最短でも専門学校に通って3年かかると知ったときは、「こんなにかかるんだ!」とは思いました。でもなるために必要なら仕方ないので、それほど迷わずに決められましたね。
2.大学卒業後、義肢装具士の専門学校へ進学

———専門学校での生活はどうでしたか?
楽しかったですよ! 一学年10人くらいの少人数だったので、みんな仲も良くて。ただ、先生がめちゃくちゃ厳しかったですね……。
でも厳しい分、うちの学生は「養成校のなかでもしっかり学んできている」という定評があって、就活には有利に働いたと思います。
——出身校によって就活時の評価が異なるんですね! 一般的な就活と同じですね。
そうなんです。義肢装具士の養成校は、当時全国でも10校程度とかなり少ないんですよね。だから学校ごとの卒業生の技能レベルはだいたい把握されてます。
——これは養成校選びの重要な視点になりそうですね……。義肢装具士は国家資格なわけですが、国家試験に向けた勉強はどうでしたか?
国試はしっかり勉強しておけば大丈夫だと思いますよ。
うちの学校は普段の授業やテストにも厳しく取り組んでいたので、それがそのまま国試対策にもなっていたというか。
——しかも、Tさんは難関大学の受験も経験されてますもんね。
たしかに勉強慣れしていたおかげもあるかもしれませんね。高卒で受験経験がない子とかは結構苦労してたと思います。
——では国試は無事パスされたと。就職活動はいつから始めたんですか?
一般的には、3年生の12月から就活解禁という感じですね。
就活といっても何十社も受けるような進め方じゃなくて、平均して1〜2社くらい受けてたと思います。専門学校に義肢製作所のリストが送られてくるので、そこから選んで受けるような形ですね。
——「一般的には」と言うと、Tさんの場合は違ったんですか?
あまり良くないんですけど……実は3年生の夏に行った実習先で既に内定を頂いていたんです。
——なるほど! そういったケースは多いんですか?
どうでしょう……実習先で内定が決まった人は身近では聞きませんでしたが、クラスメイトのうち3人は別ルートで早くに就職先が決まってました。
うち2人は親が義肢製作所を経営していたので、それを継ぐ形に。もう1人は自分が義足を使っている子だったので、お世話になっている製作所へ入社していきましたね。
ほかの子たちは通常ルートで就活していたと思います。
3.義肢製作所3社にて、製作・営業を経験

——新卒入社された製作所では、どんな仕事から任されたんですか?
従業員数20~30人くらいの製作所で、義足の製作をメインにさせてもらってました。社長と一緒に営業回りに行くことも結構ありましたね。あとは、1年目なので雑用的なことも。
——営業ですか。義肢装具の営業というと、どんな感じなんでしょう。
義肢製作所の主な取引先は病院なので、提携先の病院を定期訪問して回る感じですね。
例えば、毎週月曜日の午前中など決まった日時に訪問して、病院内の一室——たいていは整形外科の部屋ですね。そこに通されて、義肢装具士が待機しています。
そしたら義肢装具が必要な患者さんと担当の先生(医師)が来て、先生から「この方のコルセットが必要なので製作お願いします」のように依頼を受けます。その場で採寸や採型をして、会社に戻って製作するような流れですね。
先生だけじゃなく、リハビリの観点から理学療法士さんと相談して進めることも多いです。
——なるほど、営業と聞くとサービスを売るイメージですけど、採寸などもされるんですね。
そうです。そして出来上がった義肢装具を持って再び病院に行って、患者さんに装着してもらって適合や調整をするところも営業の役割です。

——製作作業は社内の別の人が担当するんですか?
当時の会社は製作の種類別に分業していたので、コルセットならコルセット担当の人に採寸した紙を渡して作ってもらうような流れでした。
私の場合は義足担当だったので、義足をメインに作ってましたね。
——1ヶ月にどのくらいの数を作るものなんですか?
義足の依頼はあまり多くないので、月に4、5本だったと思います。
——週に1本くらいのペースなんですね。そして、職歴を拝見するとその会社は1年と短期間で退職されているようなんですが……?
そうなんです。でも会社に不満があったわけじゃないですよ!
仕事は順調だったんですが、入社した翌年に結婚したんですね。そしたら間もなくして夫の転勤が決まり、その翌年に子どもも生まれる予定だったので、いろいろな条件を考えて実家の近くに引っ越すことになりました。
実家と職場は他県だったので、引っ越し前に退職した形です。
——なるほど、主に家庭の事情による退職だったんですね。
はい。それで子どもが生まれて1歳になったタイミングで、再就職しました。
実は次の職場も、専門学校2年生のときの実習先なんですよ(笑)。
——おお、こちらも実習先なんですね! どんな職場だったんでしょう。
従業員40〜50人くらいの結構大きめの製作所だったので、営業と製作が完全に分業化されていて、私は営業専属になりました。
ルート営業みたいな感じで、担当病院を10院くらい持ってました。それから数としては少ないんですけど、老健(介護老人保健施設)や個人宅の訪問にも空いた時間で行ってましたね。
——2社目は約7年も勤められたということで、働きやすい環境だったんでしょうか。
分業化されていたおかげで、残業がほとんどなく早く帰れるのはありがたかったですね。前職のように営業と製作が兼務していると、残業が多くなりがちだったので。
それから、まあまあ大きい会社だったこともあって、子どもの急な発熱などで仕事を抜けなきゃいけないときにも、ほかの社員がカバーしてくれる環境でした。2社目の間に2人目も出産していたので、子育て面ではすごく助かりましたね。
——それは働くお母さんとしては有難いですね。では反対に、イマイチだったところはありますか?
やっぱりまったく製作ができなかったことですね。
あとは、在宅の患者さんにも正しく義肢装具を使ってもらうことが大切だと思っているので、介護施設や個人宅の訪問にもっと力を入れたかったというのもあります。当時の会社は病院相手の仕事がほとんどだったので。
義肢装具は介護保険ではなく、医療保険が適用されるので、病院からの仕事が中心になりやすく、難しいところではあるんですけど……。
——そういった点から、次の職場への転職に繋がっていった?
はい。この2つが主な転職理由になりますね。
次の会社が今の職場になるんですけど、社長や専務も含めて5人の小さな製作所です。
もともとは知らない会社で、知り合いの義肢装具士に転職の相談をしたら、今の専務を紹介してもらって。それで専務と一緒に何度か飲みにいったり話をしたりして、「じゃあうち来る?」みたいな軽いノリで決まりましたね(笑)。
——今度は紹介経由でしたか。義肢製作所の転職は、人づてが多そうですね。
狭い業界なので。「新しい人が欲しいんだけど、いい人知らない?」とか言う会話もよく聞きますし。
ジョブメドレーさんのような求人サイトとかで探すということは少ないかもしれませんね。
——今の職場では、希望された仕事はできていますか?
製作はできています。それから施設や在宅の訪問にもある程度の理解があるので、専務からは「Tさんの思うように動いたらいいよ」と言ってもらえていて。わりと自由に働かせてもらってます。
——それは良かったですね!
ただ、作業のほとんどがアナログなので、もうちょっと新しい技術を取り入れていく必要はあるなと思ってます。
採寸データなどの管理方法が紙なんですよね。前職はPCでの管理だったので、アナログに逆戻りしてしまいました。
——義肢や装具の製作過程においても、基本はアナログでの作業ですか?
今はそうですね。でもインソール製作用にCAD/CAM*を導入するために、「ものづくり補助金」の申請手続きを最近始めたところです。
*CAD/CAM…コンピューター上で製品を設計する「CAD(コンピュータ支援設計)」と設計されたデータを機械で加工できるようにする「CAM(コンピュータ支援製造)」を組み合わせたソフトウェアのこと。
CAD/CAMはうちの会社に限らず、未導入の製作所は多いと思います。インソールでも導入率20〜30%くらい。コルセットとかの大きいCAD/CAMだと5%くらいかもしれません。初期投資費が高すぎて、なかなか回収できないんですよね。
——デジタル化は一朝一夕には進まないんですね……。Tさんの今後の目標がありましたら、教えてください。
これからは「装具難民」のサポートに力を入れていきたいと思っています。装具難民とは、病院で装具を作ったあと、在宅で適切に装具を使えていない人たちのことです。
一般的に装具の使用期間は2〜3年とされてるんですけど、実際は10年、20年と使い続けている方が多くて。患者さんと普段接しているケアマネさんや理学療法士さんからそういった案内ができたらいいんですけど、装具についての詳しい知識を持った方はまだ少ないんですよね。
なので今は、訪問を通して他職種の方と連携を取るようにしたり、ネットを使って装具難民に関する情報発信をしたりしています。
4.義肢装具士の給与事情
——続いて、お給料についても教えてください。

これが直近の給与明細になります。
転職して半年経っていないので、ボーナスがどうなるかはまだわからないんですけど。
——手当がたくさんありますね。
これ、名ばかりの手当がほとんどで、あんまり参考にならないかも……。
専務と転職の条件について話をしたときに「前の会社と同じくらい出るようにしとくわ」って感じで決まったので、基本給にいろいろな手当を乗せて調整してる感じなんですよね。
——結構アバウトなんですね! ちなみに、新卒時から比べてお給料はどのくらい変化がありましたか?
それが、たいして変わってないんですよねぇ。1社目が年収320万円くらい。
2社目は入社時点でちょっと下がって、退職時に同じ320万円くらいまで上がった感じでした。昇給も年に2,000〜3,000円くらいだったかな。
——2社目で下がってしまったんですね。
実は義肢装具士の給料って、地方のほうが高い傾向にあるんですよ。医療保険の制度上、全国一律で報酬額が決められてるので、相対的に地価や家賃などの固定費の安い地方のほうが利益率が高くて有利なんです。
2、3社目よりも1社目のほうが田舎だったので、給料も1社目のほうが高かったんですよね。
——なるほど、そんな仕組みが……! ちなみに、営業の売り上げ次第でインセンティブがつくことはないんですか?
これまでの3社ではなかったですね。インセンティブが出る製作所もあるとは聞きますけど、めずらしいと思います。
5.(番外編)生活・お金の話

——ここから少しプライベートな話についても聞かせてください。休日はどう過ごすことが多いですか?
子どもと一緒に公園に行ったり、ママ友と会ったりしてます。
——最近ハマっていることは?
朝ヨガですね!
子どもに合わせて早寝早起きなので、朝5時くらいに起きて、5時半からのオンライン朝ヨガに参加してます。
——よく使うアプリはありますか?
仕事だと、私の予定を共有するために「タイムツリー」というカレンダーアプリを使ってます。でも社長や専務は予定を入れないので、一方通行な共有です(笑)。
仕事以外だと、「YouTube」や「Voicy」という音声メディアを空き時間によく聴いてます。ワーママはるさん、ちきりんさん、中田敦彦さんとかですね。
——1ヶ月の生活費を教えてもらえますか?
それが家計簿を全然つけてなくて……だいたいこのくらいかなぁ。

家は祖父がもともと住んでいた家なので、住居費はゼロで済んでます。
食費と子ども2人分の習い事代の占める割合が高いですね。
——Tさんご自身もいろいろな習い事をされてましたもんね。本日はありがとうございました!