声優として活動しながら、保育士としても働く人がいます。そんな珍しい兼業生活を送っているのが、服巻浩司さん(54歳)です。アニメ『機動戦士ガンダム』や『ONE PIECE』など数々の作品に出演してきた現役声優が、なぜもう一つの仕事として保育を選んだのか。その理由とこれまでの歩みを聞きました。
話を聞いた人
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声優・保育士 服巻浩司さん
1971年1月28日生まれ、神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後銀行に勤務。退職後、青二塾東京校を経て青二プロダクションに所属し、声優として活動を始める。2017年に保育士資格を取得し、現在は声優と保育士の二つの仕事を両立している。
安定を手放して選んだ声優の道
──服巻さんは声優活動をしながら保育士もされているとのことですが、これまでの経歴を教えていただけますか?
服巻さん:1994年に大学を卒業して、最初に内定をもらったあさひ銀行(現・りそな銀行)に新卒で入行しました。大学では経済学部に通っていて、「経済の中心で働きたい」との思いがあり、自然と銀行を志望しました。

入行後は、毎日忙しくも充実し、生活も安定していました。ただ、仕事を続けるうちに、どこかモヤモヤした気持ちも芽生えてきたんです。銀行業務は、お金をとおして社会を支える仕事ですが、与えられた目標をこなす日々のなかで、「自分は何を生み出しているんだろう」と考えるようになっていきました。
そんな時期に、バブル崩壊後の金融機関の破綻が起きたんです。1997年に北海道拓殖銀行が経営破綻し、そのあと大手の山一証券も破綻しました。絶対に潰れないといわれた銀行が次々に姿を消していくのを見て、「銀行員だから安定」という考えが崩れました。
それで、ほかの道を探ってみようと考えていたら、ふと「声優になろう」と思ったんです。
──数ある選択肢の中で、なぜ声優なんですか?
その理由は大きく3つあります。まず、当時勤めていた支店のすぐ近くに、現在所属している青二プロダクションがあったことです。営業しても取引にはつながらなかったのですが、なんとなく気になる会社だなと思っていました。
それから、銀行の同期の結婚式で青二プロダクション所属の声優・豊嶋真千子さん(『ちびまる子ちゃん』の現在のお姉ちゃん役)と出会い、仕事の話を聞いたこと。
そしてもう一つは、いとこに田村ゆかりという声優がいたことです。当時ちょうどブレーク寸前で、その姿を見ていて「声優っておもしろそうだな」と思っていたんです。
銀行を辞めようかと悩んでいた時期に、こうした出来事が立て続けにあって、「これは思し召しかも」と思い、勢いで銀行を辞めました。
──声優を目指すということは、もともと声に自信があったんですか?
ありません。「やっちゃえやっちゃえ!」という若さゆえの衝動です。
──銀行を辞めるとなると、ご家族の反応はどうでした?
親からは大反対されました。いずれ支えてくれるだろうと思っていたようで、その期待が一気に崩れたわけです。
ただ、「これは俺の人生だし、銀行に勤めていたとしてもいつ潰れるかもわからない。それに、売れている声優(田村ゆかり)が身近にいるじゃないか」と説得しました。それで両親から「やるんだったら辞めるなよ」と認めてもらい、声優を目指すことになったんです。
──では、声優になろうと決めてからはどう動かれましたか?
銀行を退職した年に青二プロダクションの養成所・青二塾に入りました。そこで1年間みっちりと演技の勉強をして、プロダクション所属のためのオーディションを受けて、何とか合格しました。ですから、今年で26年目です(2025年時点)。銀行には4年しかいなかったのに、声優の仕事のほうがずっと長くなりましたね。
PRIDEのリングで初仕事「手取りは100分の1」

──銀行員から駆け出しの声優となったわけですが、給料はだいぶ減ったんじゃないですか?
そうですね……銀行員時代は手取りで30万円程度でしたかね。プロダクションに入って最初にもらった明細を見たら3,000円。100分の1になりました(笑)
──厳しい世界ですね……ちなみに何の仕事の給料だったんですか?
格闘技イベント「PRIDE」で、高田延彦選手にインタビューをする仕事でした。リングアナウンサーの仕事をする予定があったので、勉強のために見学しに行ったんです。そしたら「せっかくだからインタビューやってみなよ」と声をかけられ、急きょリングに上がることになりました。
──図らずも声優のデビュー戦を迎えたんですね。
突然のことで驚きましたよ。それからリングアナウンサーを続けていて、今は初代タイガーマスクの佐山聡さんが旗揚げした「ストロングスタイルプロレス」でリングアナを務めています。
──声優としての経歴を拝見すると、アニメ『ONE PIECE』『ちびまる子ちゃん』、ゲーム『真・三國無双』『龍が如く5』、テレビ『世界の果てまでイッテQ!』など、有名なタイトルがずらりと並びます。これまでの仕事でとくに印象に残っているものはありますか?
初代『機動戦士ガンダム』のサウンドリメイク版です。モビルスーツが初めて空を飛ぶときの「モビルスーツが、飛んだ!」という有名なフレーズを担当させていただきました。
また、ガンダムの頭部から思わぬ攻撃を受けたジオン兵の「あんなところにバルカン砲が!」という有名なセリフを叫んだことも、とても印象に残っています。
子どものころから観ていた作品でしたし、知っているセリフを自分の声で演じられた瞬間は感無量でしたね。
保育士という新たな挑戦
──好きな作品にも携われて、声優の仕事が順調だったと思いますが、そこからなぜ保育士を目指そうと思ったんですか?
きっかけは2014年に子どもが生まれたことです。声優の仕事は時間が不規則ですから、日中は子どもと向き合う時間も多かったんです。「子どもってこうやって成長するんだな」と実感するうちに、せっかく育児の経験を積んだのだから、形に残る資格を取ってみようと考えるようになりました。
もう一つ理由がありまして。育児をしていれば男女問わずよくあることだと思いますが、妻も少し育児疲れになってしまうことがあったんです。「たまには外に出てリフレッシュしたら?」と言っても、「子どもが不安で出られない」と言うんです。それなら、「僕が保育の資格を持てば、安心して任せてもらえるのでは」と思いました。つまり、保育士資格を取ろうと決めたのは、我が子と妻のためだったんです。
とはいえ、保育士になる方法なんてまったく知りませんから、ネットで受験資格を調べ、通販で参考書を購入することから始めました。2016年の春に勉強を始め、10月の試験に間に合わせるスケジュールを立てました。
▼保育士詳しい解説はこちら
──仕事と家庭と勉強の両立は大変だったのでは?
試験前の半年は声優の仕事を少しセーブして勉強に集中しました。ただ、そのぶん妻に家事や育児の負担がかかってしまい、申し訳なかったですね。でも妻は応援してくれていましたし、一発で合格すると宣言していたので、1日も休まず勉強を続けましたよ。結果はギリギリでしたが、なんとか一発で合格できました。
──保育士試験は科目数も多いですよね。どのように勉強したんですか?
特別なことはしていないと思います。参考書をひたすら読んで、ノートにまとめました。あとは問題集を解いて、間違えた箇所をノートに書き写し、調べて理解する、よくある受験勉強の方法です。
座学での知識は得られたものの、現場の知識や経験は乏しかったので、現場経験を積むために保育園で働こうと思いました。
──では、就職活動はどのようにされましたか?
2017年の1月に合格通知が届き、3月に保育士の登録をしました。それから家の近くで保育補助のアルバイト・パートを募集している園を探しました。子どもの送迎や自分の仕事との兼ね合いを考えると、やっぱり近所がいいなと思ったんです。なおかつ、保育を体系的に学びたいと考えていたので、教育体制やカリキュラムが整っていそうな大手の会社に5月あたりに応募しました。
書類がとおってから電話で一次面接をして、次に勤務先の園長先生と対面で面接をして内定をもらいました。勤務を開始したのが2017年7月です。
──電話面接だったんですね。応募先の採用担当者は服巻さんの経歴を見て驚かれたんじゃないですか?
40代の男性で現役の声優ですから「何者だ?」と思ったでしょうね。電話で担当者と話したとき、やたら緊張しているように感じたので、事前に調べてくれたんだろうなと思いました。園長先生との面接では「おもしろい経歴ですね。絵本をいっぱい読んでくださいね〜」と言われました(笑)。
保育現場で光る服巻浩司さんの声優スキル

──ここからは入職後の流れや仕事内容について伺います。初めて現場に入ったとき、子どもたちはどんな反応でしたか?
案の定、「このおじさんは誰?」と、最初はなかなか近づいてくれませんでした。ですから子どもたちとの距離を縮めるために、絵本を読むときはキャラクターになりきるようにしたんです。おばけの話ならおばけの声で、動物の話ならその鳴き声を交えて。そうしているうちに、年長や年中の子どもたちは自然に受け入れてくれるようになりました。
0歳や1歳の子は、男性というだけで警戒されることもあります。抱っこしようとすると泣かれてしまうことも多かったですが、顔を合わせていくうちに少しずつ慣れてくれましたね。
──では親御さんの反応はどうでしたか?
ちょっと懐疑的な目で見ているんだろうなとは感じましたよ。自分より年上の新人男性保育士ですから。でも、園長先生が説明してくれたり、フォローをしてくれたので、とくに問題はありませんでした。
──職員は女性の方が多いですか?
そうですね。先輩は20歳以上年下の方も多いです。年下でも保育の専門教育を受けてきた先輩なので、皆さんを尊敬していますし、「何なりとご指摘ください」という姿勢で臨んでいます。それが高圧的に映っていないか少し心配ですが(笑)。
人間関係も良好で、気づいたら今の園で8年も働いています。感謝の文化がしっかり根づいていて、本当に素晴らしい環境なんですよ。洗濯物を畳んでもらったら「ありがとうございます!」、オムツを持ってきてもらったら「ありがとうございます!」と、自然に声が出る。そういう雰囲気だからこそ、園内がいつも穏やかなんです。
──いい職場環境なんですね。ところで、声優の仕事と並行してとなると、勤務のスケジュールはどうしているんですか?
入職して数年間は週3日午前中に勤務し、午後は声優の現場へ向かっていました。現在は週2日、午前7時から9時の2時間勤務しています。
うちの園では、朝の受け入れをしたら登園している子ども全員を集めて8時半まで絵本の読み聞かせをしています。本来は正職員が対応するのですが、朝は何かと忙しいんですよね。なので、僕が絵本を担当する日もあります。
子どもたちが「これ読んで!」と本を持ってくるので、「はじまるよ〜」の手遊び歌をしている間にパラパラっと内容を把握し、感情を込めて読んでいきます。ときには本がすぐ終わってしまうこともありますが、そんなときは「この鬼さん怖いね〜」とか、「このおむすびおいしそうだね〜、どれどれ〜あむあむ!」と、アドリブを交えて時間を調整します。8時半ぴったりに終わると気持ちいいんですよ(笑)。こうした“尺の感覚”は、生放送のナレーション仕事で身につけた経験がそのまま活きていますね。
──ほかに声優のスキルが役立つ場面はありますか?
季節行事のサンタクロースや鬼の役は力を入れてやっています(笑)。子どもたちが本気でリアクションしてくれるのがうれしいですね。
──臨場感たっぷりで楽しそうです。では、保育士の仕事で難しいと感じる場面はありますか?
やはり、子どもたちに「伝える」ことですね。0歳や1歳の子には言葉で伝えても通じないことが多いです。3〜4歳になると少しずつ理解できるようになるので、声のトーンや表情を工夫します。
何か質問されたときは、「どうしてこうなるんだろうね?」と一緒に考えるようにしています。答えをすぐに伝えるより、子どもが自分で気づけるよう導くことや、知的好奇心を養ってあげることのほうがずっと大切だと思うんです。
下北沢で描く理想の保育園

──以前、SNSで「保育所と学童が一体になった施設を作りたい」と発言していましたよね。
ええ、当時それを下北沢に作りたいと考えていました。
俺が46才で保育士の資格をとった理由の一つは、保育所~学童が一体となった施設をいつかつくりたいから。同じ志をもって立ち上がろうとしているつるのさん、勇気をありがとう!批判に呑み込まれることなく真っ直ぐに突き進みましょう!
— 服巻浩司 (Koji Haramaki)@Dr.Flower「Believe your way」 (@koji_haramaki) January 15, 2020
ってニセウルトラマンを演じてた俺が言うのもなんだけどな(笑) https://t.co/xoytUlY3Pd
──なぜ下北沢なんですか?
子育てをしている知人たちから、「芝居やライブに行きたいけど、子どもがいるから難しい」とよく聞いていました。下北沢は芝居や音楽のメッカですから、そこに一時預かりができる施設を作れば、観る人にとっても演じる人にとっても助けになると思ったんです。
ただ、声優や俳優のなかには、プライバシーが漏れるリスクを気にする人もいます。だからこそ、同じ業界の理解のある人間が運営すれば安心できるんじゃないかなと。
理想をいえば、声優や俳優が所属する業界団体がこうしたニーズに応えてくれたらいいんですけどね。なかなか難しいみたいです。
──その施設構想はいつごろ考えていたのですか?
2019年ごろです。実際に物件を探して、事業計画書も作りました。銀行員の友人に確認してもらって、「コンセプトはいいから、これでやってみたら」と背中を押してもらったんです。
ところが、いざ動き出そうというタイミングでコロナ禍に突入してしまい、計画が頓挫しました。その後、大手企業が保育と学童を一体化した施設を立ち上げていて、「まさにこういう場所を作りたかったんだ」と感じました。
自分が手を動かさなくても、社会の動きの中で理想が少しずつ形になっているのがうれしいですね。
──理想の形が実現し始めているとのことですが、服巻さんご自身は、今後も声優と保育士を両立していく予定ですか?
そうですね。現場を離れると保育との接点がなくなってしまうので、それは避けたいと思っています。
今日こうして話しているうちに、自分の施設を作りたいなと思ってきました。また理想の形を考えてみようと思います。
──きっかけが作れたようでうれしいです。最後になりますが、服巻さんのように独学で保育士を目指す人に向けてアドバイスはありますか?
慎重に下調べをしたうえで、やると決めたら脇目も振らず突き進むことです。あとは効率よく勉強すること。 テキストを闇雲に読むのではなく、まず目次で全体を把握してスケジュールを立てる。期限を決めて学習を進めるのが大切です。
今思えば、学校や通信講座を利用するのも良かったかもしれません。独学だと時間だけが過ぎて身にならないこともありますから。不安があればそうした学びの場を利用して、確実に力をつけていくのがおすすめです。