日本はインドネシア、フィリピン、ベトナムの3ヶ国とEPA(Economic Partnership Agreement/経済連携協定)を締結し、経済活動の連携強化の一環として介護福祉士の候補者を受け入れています。2008年のインドネシアを皮切りに、2009年にはフィリピンから、2014年にはベトナムから受け入れを開始し、2019年度までに受け入れ人数は延べ5,000人を超えました。
そんなEPA制度にいち早く着目したのが健祥会グループです。今回は同グループの社会福祉法人緑風会が運営する特別養護老人ホーム「エリザベート成城」にて、健祥会グループが長年多くの外国人候補者を受け入れ、介護福祉士として輩出してきた取り組みについて聞きました。記事後半では、EPA候補者として来日し現在介護福祉士として働いているフィリピン人女性の体験談も紹介します。
1.約400人のEPA候補者を受け入れてきた「健祥会グループ」の取り組み
・介護業界の将来を見据え、先駆的に受け入れを開始
健祥会が初めて海外からの人材を迎え入れたのは、EPA制度が開始した翌年2009年のこと。インドネシア人の2期生から毎年欠かさず受け入れを続け、これまでにインドネシア、フィリピン、ベトナムの3ヶ国から延べ約400人もの候補者を受け入れてきました。日本全体で約5,000人の候補者のうち1割近くが健祥会グループへ入職したという、国内で見ても実績の大きい法人です。
そんな健祥会ですが、なぜ先行事例のない時期からそれほど積極的に外国人人材を受け入れてきたのか? 法人本部のある徳島県が抱える事情に、その答えがありました。
「田舎のほうは過疎化が深刻で働き手の確保が難しく、とくに若い人は関東や関西に上京してしまって県内に残らないんですよ。受け入れを進めたのは前理事長の意向が大きく、以前から『介護人財は日本人だけではもうすぐ枯渇する』と考えていたので、将来を見据えて外国人人材を受け入れようと決めました」(長田さん)
こう教えてくれたのは、EPA制度の創設以前から健祥会グループで働く日本人職員の長田さんです。

・外国人職員を受け入れての職場の変化
これまで日本人しかいなかった職場に外国人の同僚が入ってくる──この状況を体験したことがない人にとっては、期待や戸惑いなどさまざまな感情が生まれて当然かもしれません。健祥会では実際にどのような変化が起きたのでしょうか。長田さんはこう言います。
「職場が明るくなったなという印象があります。今までうちの法人で受け入れてきた候補者たちは、優しいというか、協力的な人が多いですね。施設でおこなう日本の行事などにも積極的に参加してますし、そういった日本的なことを学びたいって人もいます」(長田さん)
さらにプラスの変化として挙げたのは、日本人の職員たちが若い候補者たちに介護技術などを教えることで、日本人職員の成長機会にもなっているということ。候補者たちは3年以上の実務を経験してから介護福祉士の国家試験に臨みます。このとき実務で教わったことが間違っていると、答案でも間違えてしまうかもしれない……。候補者たちの人生を左右するともなると、教える側も責任重大、身を入れて教えるようになるというわけです。
また、候補者に対する利用者やその家族の反応も気になるところですが、健祥会では過去に大きなトラブルは起きていません。最初は拒否感を示していた人でも、候補者たちと共に過ごす時間のなかで、自然に解決するケースがほとんどだと言います。
・大切なのは、生活面・受験面でのサポート
日本の介護施設がEPA候補者を受け入れるには、EPA候補者と法人の間でマッチングが成立する必要があります。このとき法人の担当者が現地に赴き、合同説明会という形で候補者たちと直接交流することもできます(任意参加)。健祥会の場合は同国出身の先輩職員にも同行してもらい、現地の言葉で法人の理念や施設の説明をより詳しく伝えるよう工夫しています。
しかし長年の実績がある健祥会でも、EPA人気の高まりを受け、希望のマッチング数に達しないことがここ数年で増えているのだそう。競争が激しくなるなかでは、候補者たちに選ばれる施設になることが重要です。そのため健祥会では、「来日後の生活面でのサポート」と「介護福祉士国家試験の受験サポート」の2点に力を入れており、実績も携えながらサポート体制をアピールしています。
「生活面のサポートでは、家などのハード面の提供はもちろんですが、地域で問題なく生活できるようソフト面でもサポートしています。とくに地方だとご近所付き合いも重要になるので。地域の集まりに日本人職員も付き添ったりだとか、外国人の彼らができないことは代わりにやったりだとか。都心と違って交通も不便なので、買い物に一緒に行くこともありますね」(長田さん)
候補者たちは介護福祉士試験合格後は実質的な永住権を得るため、家族があとから来日してくるケースも少なくありません。そこで家族に対しても日本語や日本文化、日本式の生活様式やコミュニケーションの取り方などを教える場を提供しています。そのほか文化や宗教に対する配慮や、各国の祝祭日(クリスマス、旧正月、ラマダンなど)に休みが取りやすいようシフトを考慮することも重要です。
また、受験面でのサポートにおいては月3〜4回の勉強会の実施、受験2ヶ月前から通常業務なしで強化合宿をおこなうなど、試験合格のため法人を挙げたサポート体制が取られています。
・EPA候補者の国家試験合格率と合格後
介護福祉士国家試験の合格率は、日本人で約70%程度。健祥会の候補者たちも例年7〜8割の合格率と言うので、その優秀さに驚かされます。
長田さんいわく、EPAでやってくる候補者たちは来日の半年〜1年前から母国で日本語を学習してくるため、語学力など基礎的なスキルがほかの制度(技能実習制度など)で来る外国人よりも高い印象を持っているのだとか。
なお、試験に合格できなかった場合はどうなるのか……? 在留資格がなくなってしまうため、不合格の場合は残念ながら帰国しなければなりません。ただし合格基準点の一定水準さえ超えれば、1年間の猶予が与えられますので、再受験のチャンスが得られます。
不合格となり帰国せざるを得ない人、合格後に数年働いて帰国する人(資格取得後3年程度が多い)、別の施設に転職する人……こういったさまざまな事情があり、累計約400人の受け入れがあっても、現在も働き続けているのは半数の200人程度。法人としては長く勤めてもらうのが本望ですから、そのためにも仕事面・生活面含めた手厚いサポートが大切になってくるのです。
・外国人リーダー職の存在
健祥会ではリーダー職として働く外国人職員もいます。EPA候補者の受け入れ開始から10年以上が経ち、現在では副主任、管理職候補、ユニットリーダーといった役職で活躍しています。
「外国人のリーダーを懸念する声もあるのでは」と長田さんに尋ねてみると……
「そこは本当に人によると思うんですよ。リーダーシップに日本人とか外国人とか関係ないかな。今リーダー職として働いている人たちは周りから信頼を得てますし、時にはこちらの期待以上に応えてくれることもありますから。基本的にまじめで素直な方が多いです。あとすごく頭が良いんですよ。現地の有名大学を卒業してる人もいますし、僕よりよっぽど賢いです」(長田さん)
と肯定的な答えが返ってきました。日本語の微妙なニュアンスが伝わりづらいといった言葉の壁は多少ありながらも、「チームをまとめること」や「自ら情報を発信すること」に関しては、外国人だから得意・不得意といった違いはほぼないようです。
ただし、文化や風習が異なれば「価値観や考え方の違い」を感じる場面はどうしてもあります。そんなつもりなく言った発言が予想外にネガティブな受け取られ方をしてしまったり、人目のある場所で注意したことで相手のプライドをひどく傷つけてしまったり……。こういったすれ違いを防ぐためにも「十分なコミュニケーションを重ね、互いに理解し合う姿勢が大切」だと長田さんは話してくれました。
2.フィリピン人介護福祉士ジュリアンさんインタビュー
ここからは、健祥会グループの一つ社会福祉法人緑風会が運営する特別養護老人ホーム「エリザベート成城」で働くフィリピン人の介護福祉士、ジュリアンさんに話を聞きました。
・最後の選択肢として選んだ日本
ジュリアンさんはフィリピンにおけるEPA制度の3期生として、2011年7月に日本へやってきました。海外で働こうと思った理由は「外国に住みながら働きたいと思った」から。フィリピンは英語が公用語のため、その語学力を活かしてアメリカやカナダで働くことを希望していましたが、それが叶わず、最終的に行き着いたのが日本でした。
「最初は、日本にぜんぜん興味がなかったんです。『これで駄目なら諦めよう』と思って受けたラストチャンスが日本でした。でもマッチングが決まったときはすごく嬉しかったです」(ジュリアンさん)

一緒に来日した同級生たちの中には、アニメや漫画をはじめとした日本文化に以前から親しんでいた人も多く、多少なりとも日本語の事前知識があったそう。そんななか、ジュリアンさんはゼロからのスタート。日本語の学習期間はフィリピンでの3ヶ月間と来日後の半年間のみ。日本に来てからは名古屋にある専門機関で日本語研修を受けました。
なお、ジュリアンさんが来日したのは東日本大震災が起きた約4ヶ月後。地震の影響や日本語力の問題、健康診断の結果などさまざまな事情があり、当初200人程度いた候補者たちは60人程度まで減りました。
・日本の介護現場で働いて感じること
半年間の日本語研修を終えると、いよいよ介護施設へ配属となります。ジュリアンさんの初めての勤務先は、健祥会グループの本部がある徳島県内の特別養護老人ホームでした。当時について、ジュリアンさんは次のように振り返ります。
「徳島は田舎でした! だけど良いところで、私は阿波踊りが好きですね。大変だったのは方言です。阿波弁だったから」(ジュリアンさん)
言葉の抑揚や語尾の表現のみならず、単語そのものが異なる方言を使うのは、もう一つ別の言語を習得するほどの大変さがあります。ジュリアンさんも言葉にはなにより苦労したようです。
一方で、特養の利用者たちとの関係は良好でした。言葉がわからないときは相手の表情から気持ちを読み取ろうとするなど、工夫しながら介護に当たっていました。
また、同僚に対しては「優しすぎる」との声も。
「職員はみんなちょっと優しすぎです。私はもっと教えてほしいのに、見守りばっかりすることもあって。自分から意識して動かないと駄目でしたね。そしたらどんどん慣れていきました」(ジュリアンさん)
自ら進んで学ぼうという姿勢もあり、ジュリアンさんは介護福祉士国家試験にも見事一発合格を果たしました。勉強を始めたのは受験のおよそ8ヶ月前からだったそうです。

・東京への異動とこれから
介護福祉士資格を取得し徳島県で合計6年間働いたあと、ジュリアンさんは「都会の生活をしてみたい」と上京を希望し、2017年より都内にある特別養護老人ホーム「エリザベート成城」に異動しました。
「徳島で働いたので、介護の仕事は自信がありました。でも東京に来て従来型からユニット型に変わって、ユニットケアは単語でしか知らなかったから、わかりませんでした。あとはアセスメントの流れとか、使うパソコンソフトとかもちょっとずつ違うので、最初は間違えてましたね」(ジュリアンさん)
慣れない職場環境であっても、これまで積み重ねてきた経験を信じ、新しいことに挑戦していく姿には頼もしさを感じます。
ジュリアンさんはこれからも日本で暮らし続けたいと考えています。ただし長年の介護業務による身体への負担も気になっているらしく、夜勤のない仕事に変えることも視野に入れているそうです。
また、今後の目標を3つ教えてくれました。母国フィリピンにある実家の建て直しのための仕送りを終えること、日本語能力試験1級の合格、そしてケアマネジャー資格の取得。ケアマネジャー試験は介護福祉士試験のようにふりがなが併記されていません。そのため外国人受験者にとってはより難易度が高くなることが想像されますが、勉強熱心なジュリアンさんであれば、実現する日もそう遠くはなさそうです。