「国試浪人の経験について話を聞かせてもらえませんか?」
こんな不躾なお願いを快く受けてくれたのが、この春から看護師2年目となったWさん。
第109回看護師国家試験に落ちたあと、内定先の病院で看護助手をしながら1年後の第110回で合格を掴んだという経験の持ち主です。
国家試験は1年に一度のチャンス。そして受験者の多くを占めるのは新卒の学生たちですが、彼ら/彼女らにとって国試に落ちるということは、無資格のまま社会に投げ出され、生活の糧を得ながら1年後に備えなければならないということを意味します。
「高校も看護学校もそのときの自分のレベルに合ったところを選んできた」「『看護師になりたい』って強い気持ちがあったかって言われると、そうじゃなかったんじゃないかな」と語るWさんが、1年間の浪人生活を経てどのように変わったのか話を聞きました。
「みんなが受かる」の罠
──そもそも看護師を目指したきっかけは何だったんでしょうか?
母に勧められて。医療ドラマも好きだったし、お給料も悪いわけじゃないし、安定した仕事だし。なので漠然と「私は看護師になるんだ」って思ってました。
東京への憧れもあって、地元の関西から都内の看護学校に進学したんですけど、そのときに「看護師になりたい」って強い気持ちがあったかって言われると、そうじゃなかったんじゃないかなって思ってます。

もともと勉強も好きなわけじゃなかったし、上を目指すのが苦手だったので、高校も看護学校もそのときの自分のレベルに合ったところを選んできて。とくに頑張ることもなく入試はするするっと受かって、実習もぬるぬるっと切り抜けてきて──。
そうやって頑張るってことをせずに3年間やってきたところがあったので、「9割受かる試験」って聞くと「みんなが受かるものを私が落ちるわけがない」って思ってしまって。
──模試の結果はどうだったんですか?
だいたいもう一番下の判定。しかもずっとです(笑)。
必修問題は本番直前にやっと(合格ボーダーの)40点に乗ったくらいで。一般状況もギリギリで、今見たら「そりゃ落ちるでしょ」っていう点数だったんですけど、周りの子もみんなそんな感じだったのでそれが“ヤバい”ってことにぜんぜん気付けなくて。
試験対策もずっと必修を40点取らなきゃいけないっていうことに振りすぎて、「そういえば一般状況にもボーダーあるじゃんね」って思い出したのが本番の2週間前。
もう全部が遅くて……。取り掛かりも、気付くタイミングも、焦るタイミングも全部遅くて、それで1点足りなくて落ちました。
──1点だったんですか……!
はい。一般状況が1点足りなくて。
「これからどうしよう。みんな受かってるのに自分だけ落ちて、資格はないし、寮は出なきゃいけないし、お金もないし。どうしよう!」って悩みました。
──ちょっといいですか。合格率9割ってことは10人に一人は落ちているんですよね。それってそこそこいるんじゃないかなって思ってしまうんですが。
私の周りにはいなくって! うちの学校は合格率が毎年だいたい100%で、不合格者は何年かに一人いるかどうかだったんです……。

助手業務に泣いた、春
──合格発表のときはどこにいたんですか?
合格発表のときは実家に帰省してたんですけど、先生から「とにかく戻ってこい」って電話をもらって、翌日嫌々帰りました。そしたら「看護助手として雇ってもらえるかもしれないから、看護部長のところに行ってこい」と。
それで、とりあえず話だけ聞きにいくつもりで看護部長のところに行ったら、「じゃあ、今から病棟に挨拶に行きましょう」って言われて(笑)。
──展開が早い! それはWさんの意思は確認されず?
そうですね。「看護助手にならない?」じゃなくて「ここに来たということはそういうことでしょ?」くらいの感じで、自分の意見を挟むこともできず……。
実際めっちゃ戸惑いました。病院付属の看護学校に通っていたので、卒業生の半数はその病院に就職するんですね。先輩にも同期にも「国試落ちたから助手してる」って思われながら働くのは嫌だなって。
──そうですよね……。
でも、先生たちから「寮に居ればフォローもできるし」って説得されて、それで私も「ここに居られるんだったら、流れに身を任せてみようかな」って。
一人暮らしをしちゃうと絶対に浪人生活できないと思ったんです。私、働くのが好きだったので、多分すっごいバイト入れて、勉強することなく1年終わって……それで面倒くさくなってニートとかになるんじゃないかなって。
正直そこまで強い思いもなくて、ずっと逃げ続けてたから「ここで逃げたらもう本当にゴミ人間になる」くらいの気持ちがあったので、看護助手として働くことに決めました。
それに看護部長から国試に落ちた子が「もう1人いる」って聞いたので、それならつらい気持ちも共有できるし、きっと心強いだろうなって。
──その人と面識は?
いえ、その子は別の学校出身だったので、入職日が初対面でお互いに「あなたが……?」って感じで(笑)。彼女がいなかったら1年間乗り越えられなかったと思います。浪人生の気持ちは浪人生にしかわからないので。
──それで合格発表からあっという間に4月1日を迎えたわけですね。
はい、でも春は仕事に慣れるので精一杯で勉強は手につきませんでした。
同い年の男の子と一緒に看護助手として脳外科病棟に配属されたんですが、2人とも何しても怒られてました、看護助手の上司から。
──助手の仕事はどんな感じだったんですか?
脳外科病棟の場合、ベッドコントロールと外回りに分かれていて、私はベッドコントロールから教えられたんですが、まあ怒られて……。

──シンプルな仕事のように聞こえるんですが、そんなに怒られるんですか?
めちゃめちゃ怒られました(笑)。
ベッドにもいろいろな種類があって、患者さんの容態に合わせて適切なものを持っていかなきゃいけないんですが、それが複雑で……。このベッドはそっちに、そのベッドはあっちに、ってパズルみたいに動かすんです。
私も最初はベッドの種類がそこまで大事だとは思ってなくて、とりあえず動かしてたら「違ァうッ!」って怒鳴られて。
休憩中に「ここはこのベッドだから、ここのベッドをこう動かして、次にこのベッドをこうしてこうして──」って整理するんですけど、それでも「違ァうッ!」って。
──めちゃめちゃ怖いですね……。
本当に何をしても怒られるので、怖くて何も聞けないし、何が正しいのかわからない状態で。看護師さんや患者さんにまで「大丈夫、できてるよ」って慰められてました。

気持ちに火がついた、夏
でも2ヶ月もすると慣れ始めるんですよ。どれだけ怒られても「べつに」くらいに思えるメンタルになってきて、勉強に気持ちが向き始めました。
学校からも「模試があるから問題取りに来て」って案内をもらって。
──模試ってどこかに集まって受けるものではないんですか?
最初は「受けにおいで」って言われたんですけど、断ったんです……。下の学年の子と同じ環境では受けたくないって。そしたら「じゃあ、家でやっておいで」って言ってくれたので、問題を取りに行って寮で解いて提出してました。
──ちなみに模試の結果は?
ずっとA判定でした。
──すごいじゃないですか!
国試前の追い込みでわりと貯金がある状態で始まったんです。国試直前の2月くらいに学校の先生に「このままだとヤバいから、解剖生理を整理してみて」って言われて、自分なりにこうやってまとめたんです。


解剖生理の本を見ながらまとめて、模試で出題されたポイントを書き足してました。
“点”で覚えていると点数がなかなか安定しないと思うんですけど、こうやって“点”と“点”をつないで流れを掴むことで「わかる!」「解ける!」っていう自信になりました。
──それが、2月?
はい、だから「遅かったね」って(笑)。
──でもあと1点でしたし、「これがわかれば大丈夫」という筋は掴んでいたんですね。
そうですね。解剖生理のこの流れが完全に頭に入っているか確認するために、この白地図をコピーして繰り返し書き込みながら、模試の解き直しを丁寧にやってました。模試は2ヶ月に一回くらいのペースであって、一回につき240問あるので解き直しているうちに次の模試が来るって感じでした。
>Wさんが作った白地図(消化器系)のダウンロードはこちら

あとは脳外科だったので脳のことも勉強しました。
──脳外科病棟で働くことで勉強の役に立ったりしましたか?
脳ってすごく症状が目に見えてわかるんです、喋れないとか意識がないとか。
本当に寝たきりで一言も喋れなかった患者さんが、座ってお風呂に入れるようになって、歩けるようになって──って。「人間ってこんなに良くなるんだ、面白い仕事だな」って思ったんです。
「看護師になりたい」って気持ちになったのは、その患者さんと出会って「力になりたい、やっぱり助手じゃ力不足だ」と思ったのが大きいですね。
そこで「勉強しよう」とスイッチが入って、週に2〜3回は仕事上がりにそのまま院内の図書室に直行して勉強するようになりました。

──ちなみにコロナ禍の影響はあったりしましたか?
入院が止まって仕事の量が少なくなった時期もありましたね。
あとは友達と遊びに行けなかったのが一番つらかったことなのかなと思ったんですけど……。助手でお金もなかったので、遊びの誘いがあまりなかったのはちょうど良かったというか。
私、「親に迷惑はかけられない」と思って実家からの仕送りはもらってなかったんです。
だから助手の給料だけでやりくりしてたんですけど、助手の給料って新卒の看護師さんとは5万、6万くらい違うんです。だから「ごはん行こうよ」とか「アウトレット行こうよ」って誘われても、お金を出せない自分が悲しくなってくるから。
──友達と金銭感覚がずれてしまうとちょっとつらいですよね。
そうなんです。ボーナスもぜんぜん違って! 初めてもらったボーナスが9千円しかなくて泣きながら親に電話しました、「9千円から税金引かれるんやでぇ〜!」って。
「こんなにがんばったのに9千円しかもらえないの?」って。毎日怒られながらも、現場にいる意味を見つけたくて、私がここにいる意味、必要とされる意味──って思いながらいろいろ気を利かせてきたつもりだったので。
新人看護師の子は10万円くらいもらってたので、そこで「看護師になろう! 絶対なってやる!」って気持ちになりました。

超難問に心が折れた、秋
──模試の結果も上々で順調だったはずが、秋に一度勉強が手につかなくなったとか?
そうなんです。10月に買った問題集が難しすぎて「まったくわからん……!」って心が折れました。こんだけやっても解けないんだって。
──模試A判定なのに……!
『プチナース』の予想問題集だったんですけど、国試ってたまにめっちゃ難しい問題が出てくるんですよ。その対策問題集で。
──「難しい問題だけを集めました」みたいな。
そうです。「確実に点取りたい」って子が解くような問題だったんですけど、私は「受かればいいや」と思っていたので。見るのも嫌になって、早々に捨てました(笑)。
──同じ問題集を繰り返し解くタイプの人と、いろんな問題集を解くタイプの人がいますよね。Wさんは後者だったんですか?
同じ問題を3回も4回も解いても意味ないなと思っていて。そもそも前回はそんな感じの勉強法で落ちたので。
1回解いて、2回目はわからなかった問題だけ解いて。あとはいろんな問題に触れたほうがいいかなと思います。というのも、本番に焦らないようにしておくのが大事だと思っていて。
──ほう。
1問や2問わからない問題があっても大丈夫なはずなんですけど、見たことがない問題が出てきたら焦ってペースが崩れてしまうので。とにかく「多くの問題に触れておこう」「見たことのない問題を減らそう」と思ってました。

それで予想問題があったらとりあえず買って「こんな問題があるんだなあ」って。『プチナース』も心は折れたんですけど「こんな問題があるんだ」「こんな問われ方をするんだ」って思いながら眺めてました。
──本質的に同じ問題でも問われ方が違うとか、そういうのがあるんですか?
ありますね。国試って4択じゃないですか。問題が同じでも選択肢が違えば見たことのない問題になるけど、たくさんの問題に触れておくと出題のパターンが掴めてくるんです。
とにかく試験中に焦るのが一番良くないって経験があって。最初の受験では本当に何も準備してなくて(笑)。鉛筆を3本しか持っていかなくて鉛筆削りもなくて、そしたら「芯が丸まって書きにくくなったらどうしよう」って不安がずっと残っちゃって……。
その反省から2回目は鉛筆もたくさん持って行ったし鉛筆削りも持って行ったし、「お初です」みたいな問題もなかったので、安定して解けたっていう自覚があります。

1年前とは面構えが違った、冬
──看護助手の仕事はいつまで?
12月末まで働いて、年明けから実家にこもって勉強だけしてました。
両親とはよく喧嘩してたんですけど、そのときは家事も全部やってくれて、勉強に集中させてくれて感謝しかないです。
2月に入ってからは必修問題を解きまくりました。一般状況が1点足りなくて落ちてるのでそっちばかり対策してたんですけど、これも「必修そんなにやってないけど大丈夫かな」って焦り始めて(笑)。
──焦り! 潰さないと!
そうです! その時期になると勉強してない時間があるのが不安になってきて、隙間時間にひたすらアプリで必修問題を解いてました。過去10年分の問題が入ってたんですけど、進捗率の画面が100%になるまでやりきりました。目に見えたものがあると安心できるので。
──じゃあ、国試直前には自信を持って臨めるようにはなってました?
はい、「目指せ200点」くらいの気持ちで、少なくとも落ちるとは思わなかったですね。
──去年みたいな“なんとなく”ではなく、“確信を持って”落ちないだろうと?
はい、そうですね。
──(なんか違う。)
それで国試の1週間前に東京に戻って、2日前に『QB(クエスチョン・バンク)』の必修問題集を1日で解ききりました。500問くらいあるんですけど。
──1日でできるんですか?
1日でできるんですよ。もう「ここはわかる……わかる……わかる……」って感じでページをめくる手を止めることなく解けるんです。
──(前回とは違う。)
前日は会場近くのホテルに泊まって。早く寝るつもりだったんですけど、地震が来て眠れなくなっちゃって……。「もう眠れなくてもいいや」って気が済むまで勉強しました。あまりおすすめはしないんですが、不安で眠れないくらいだったら勉強したほうがいいです。とにかく心を安定させるほうを取ったほうが。

──当日は何時に起きましたか?
朝6時に起きて、コンビニにごはん買いに行って、音楽聴きながら準備して。「1年間頑張ったなあ」「今日で終わるんだ」って思いながら、お世話になった人たちに「いってきます」ってLINEしました。
──それは家族とか?
家族と先生と友達と……看護助手の上司と(笑)。
──あの怒鳴られまくった……?
はい(笑)。最後はもう「こいつ頑張るじゃん」って思ったらしく、すごく良くしてくれるようになって。仕事辞めるときには泣きながら送り出してくれて。
朝早い時間だったんですけど、みんなも気にかけてくれたみたいですぐに返事が来て。みんなから「いってらっしゃい」をもらって会場に向かいました。
会場には看護学校の仲の良い後輩もいたんですけど、イヤホンして誰とも喋りませんでした。それから試験を迎えて、寝ました。
──え? 試験会場で? 試験中に?
いえ、試験が始まる直前に何もできない時間が30〜40分くらいあるんですよ。机の上には筆記用具だけって状態で「何待ち?」みたいな時間が。私は一回経験してわかってるんで、「わかるわかる、ここから40分ぽーっとするんやろ?」って思って、寝ました。
──やっぱり面構えが違う!
(笑)。

浪人生活で得たもの
──自己採点の結果は?
必修48点の、一般状況180点くらい。目標の200点には届かなかったんですけど、180点取れてたら絶対落ちることはない……、と思いつつ合格予想サイトをひたすら更新してました(笑)。
合格発表当日は地元にいたんですが、前回と同じことをしようって山奥までドライブに行ったんですよ。そしたら妹が四葉のクローバー見つけてきて(笑)。
「おねえちゃん! 見て! 四葉のクローバー!」って。
その瞬間「受かった」って思って、合格発表の画面を開いて、合格してるのを確認しました。
──周りの方も喜んでくれました?
もうお祭り騒ぎ(笑)。誰も彼もが喜んでくれました。

──浪人したからこそ得られたものはありましたか?
とにかくメンタルの強さは(笑)。それからやればできるということがわかったので、勉強嫌いがなくなりました。あと、きれいごとに聞こえるかもしれないんですけど、周りに感謝するっていうことも。
「国試落ちた」って言ったら「なんで落ちたの? みんな受かる試験なのに」とか「今まで何してきたの?」とかめちゃくちゃ責められるかなって思ってたんですけど、誰もそんなこと言わなくて。
親は私のこと見捨てなかったし、おじいちゃんおばあちゃんは「ぜんぜん気にしなくていい。たった1年でしょう?」って言ってくれたし、「え? あと1点? 交渉してきてあげるよ!」って言ってくれた子もいて(笑)。
──(笑)。
「1点なら次は受かるよ!」「なればいいんだから!」って、みんな優しい言葉をかけてくださいまして……。心のどこかで「どうせ他人のことなんか」って思ってたところもあったんですけど、「ありがとうございます」って人の優しさを素直に受け取れるようになりました。
──この1年間、看護師として働いてみてどうでしたか?
達成感じゃないですけど、なりたかったものになれた、もらいたいお金がもらえるようになったっていうのは、満たされるところがあります。
その先にはつらさもあるんですが、先に看護師になった同級生たちが「頑張ってたんだな」っていうことがわかって、そこで初めて1年前に感じていた劣等感を受け入れられたというか。
看護助手のときに「こんなことまで頼まれるのか」ってもやもやしてたものが全部なくなりました。
──これからの目標は?
看護師としてもっと上を目指したいと思ってます。
脳外科にいたときに支えてくれた看護師さんたちが目標で、その人たちに認められるようになりたい、助手としては認められたんですけど次は看護師として認められるようになりたい、って思います。
“1点”のために“1年”、モチベーションを保つコツ
──あらためて、1年間の浪人生活って長かったと思うんですが……。
国試に落ちた人って、私のように1点2点足りないっていう人が大半だと思うんです。20点足りないってわけじゃないので、ある程度点数は持っているはず。だからこそ「落ちることはないだろう」っていう気の緩みにもつながりやすいし……。
私も基本的に勉強面で挫折することはあんまりなかったんですが……、“1点”のために“1年”かけるのってなかなか大変で、モチベーション下がるんです。

──その辺りのモチベーションの維持方法ってありましたか?
夏から秋にかけては勉強は週2〜3回にしておいて、休日はしっかり休んでました。
──休みの日は何を?
私ジャニヲタなので、推しのSnow Manを見て、聴いて。「私の歌、歌ってるわ」って思いながら。
──「私の歌」?
浪人中に『ナミダの海を越えて行け』っていう曲が発売されたんですけど、「これは私の歌だわ!」って思って落ち込む度に聴いてました。
ちょうど自分の境遇と被ったというか、Snow Manもジュニア時代がすごく長くて、頑張って頑張ってデビューした人たちなので、「私も頑張ったら絶対報われる」って思いながら聴いてました。
それで本当にいいタイミングで、落ち込んでるときにチケット当たったりグッズが発売されたりするんですよね……。
──なるほど。推しにかけるお金も必要ですね。
そう、浪人するにあたっては貯金が大事なんです。
私はお金を推しにかけることで心を安定させてたので、浪人生の子に「予備校には通ったほうがいいですか?」って聞かれても、「予備校に行かなくても自分でできるよ」って答えているんですけど、予備校に通うことで勉強の習慣ができて安心できる人も中にはいると思うんです。
予備校にお金をかけるのも、推しにお金をかけるのも、それによって心が安定するのであれば結局は一緒だと思っていて。
──投資先がちょっと違うだけで。
そうなんです。とくに国試前には数ヶ月働けなくなる時期があるので「それまでにお金を貯めておこう」ってアドバイスしてます。

──それでは、最後に浪人生の方に向けてメッセージをもらえますか?
「頑張れば結果はついてくる」「失敗したとしても何とかなるから大丈夫」って言ってあげたいです。
今だからこんなことを言えるんですが、当時は「失敗した、もう終わり」って思っていて……。でも、1年後でも2年後でも受かればいいですし、その過程もきっと良い経験になると思います。転んだときの起きあがり方を覚えればいいというか、私も「落ちたおかげで今の自分がある」って言えるので、頑張ってほしいなと思います。
浪人生向けのTwitterアカウントがあるので、なにかあったらメッセージ送ってください!
>看護師国試浪人だった人さん (@whoami72827) / Twitter
