話を伺ったのは九州の公立病院に勤務する医療ソーシャルワーカー

今回話を伺ったのは九州地方の公立病院に勤務する医療ソーシャルワーカー(Medical Social Worker=MSW)のNさんです。地元の大学を卒業後、病院初の医療ソーシャルワーカーとして県外の公的病院に就職し、新卒ながら地域連携室の立ち上げという大役を任されました。それから17年。現在も現場に立ち続けるかたわら、「医療ソーシャルワーカーについて知ってほしい」という思いから、教育や講演活動にも力を入れています。
新型コロナウイルスの感染拡大によって社会全体が変化を余儀なくされるなか、仕事とどのように対峙したのか、医療ソーシャルワーカーとしてのキャリアと併せて詳しく聞きました。
病気の“症状”に対処する医師、病気が生む“不安”に対処する医療ソーシャルワーカー
──医療ソーシャルワーカーがどんなことをしているのか知らない人も多いかと思います。まず、医療ソーシャルワーカーの仕事について教えていただけますか?
医療ソーシャルワーカーの仕事は医師や看護師の仕事と比較するとわかりやすいと思います。医師や看護師が病気の症状に医学的な処置をおこなうのに対して、病気に置かれたことによる不安や心配、それから生活の問題──入院して仕事ができず収入がなくなって経済的な問題を抱えるとか、家族の中に協力者がいないとか──その人自身やその人の置かれている環境を整えていくのが医療ソーシャルワーカーの大きな役割です。
ソーシャルワーカーの仕事は、基本的に面接を通じてクライエント(相談者)が直面している問題を明らかにし、解決に必要なつながりを地域の中に作ることです。病院に所属するソーシャルワーカーの場合、退院支援が中心ですが、独り暮らしの方や家族と疎遠になっている方が増えており、身寄りのないクライエントに対する支援もおこないます。
ホームレス、アルコール依存症、自殺未遂……いろいろなケースがありましたが、ソーシャルワーカーはこれらのケース一つひとつをその人自身の問題というより、置かれている環境や社会の構造が起こしている問題と捉えます。例えば“貧困”なら個別に対処することはもちろん、そういった経済的な問題を引き起こす社会制度の欠点を見つけて、行政と連携して改善していったりするわけです。
“ソーシャル”と言うくらいなので、“個別”に支援するだけでなく、“地域”とか“社会”という視点で物事を捉えていくのがソーシャルワーカーの専門性かなと思います。

──ソーシャルワーカーには一人ひとりが抱える問題と向き合いながら、個人の課題を社会の課題として俯瞰する視点が必要なんですね。
病院以外にもさまざまな場所で活躍していますが、ソーシャルワーカーは困難を抱えている人や社会の幸せを実現する専門職と言えると思います。
誰しも“幸せ”でいたいと思いますが、残念ながら生きていると病気とか借金とか孤独とか“不幸せ”になることがある。そういった“不幸せ”に見舞われたときがソーシャルワーカーの出番で、ソーシャルワーカーは相談業務を中心に人と社会をつないでいきます。例えば、一人暮らしに不安を抱える高齢者がいれば介護保険制度とつないだり、地域や社会の中につながりを作ったり、社会にもともとある資源を使えるようにしていきます。
──制度としては存在しているのに、制度が複雑すぎたり認知度が低かったりして、必要とする人に届かないことってよくありますね。
そう! 病院や役所や人。これは当然“目に見えるもの”じゃないですか。こういった“目に見えるもの”に個別につなぐだけでなく、アクセスしやすいように仕組みやきっかけを作る、つまり“目に見えないもの”を作ることもソーシャルワーカーの仕事なんです。さらに、既存の資源で解決できなければ新しい資源を作るのもソーシャルワーカーの仕事で、これをソーシャルアクションと言ったりします。
こんなふうに個人(ミクロ)、家族・組織(メゾ)、地域・社会(マクロ)の関係性をつないでいく、個人から社会まで行き来して“幸せ”を作るというイメージですね。

関係性や幸せは目に見えません。だからこそ、“目に見えるもの”と“見えないもの”の両方にアプローチしていくし、そこにソーシャルワーカーとしての専門性があるのだと思います。
コロナ禍で失われた“つながり”を作る
──この1年、新型コロナウイルスの感染が拡大するなかでどのような変化がありましたか?
一つは退院に向けての話し合い、いわゆるカンファレンスができなくなったことですね。カンファレンスができないと情報共有が十分にできません。情報が足りないと、患者さんの退院後の生活に不安が残ることになります。

そこでカンファレンスをオンラインで開催できるように、マニュアルを作ったり、職員や患者さんのご家族に対するサポートをおこなったりしました。私の地域では今まで都会と比べてICT環境が整っているとは言えないし、オンラインに抵抗のある人も多かったんですが、初めだけ手助けすれば慣れるもので、職員自身がすごく変わったと思いますね。

それから医療業界では学会や研修などの学ぶ場が極端に減ったんですよね。ソーシャルワーカーの職能団体が主催する研修も昨年はほぼキャンセルになってしまいました。
そこで当院ではオンラインで研修をおこなったんですが、オンラインにしてすごくよかったなと思ったのが、海外在住のドクターを講師に招くことができたことです。こういった研修に海外在住の講師を呼ぶってなかなか難しいんですが、オンラインなら気軽に呼べるので、コロナによって学ぶ場がかえって広がった気がします。
──インターネットに接続できる環境なら、世界中どこからでも参加できますもんね。
そうなんですよ。今回の取材も3年前だったらたぶん受けてないですよ(笑)。
遠方に住んでいる人とは「会えない」と思い込んでいましたけど、以前なら年に数回会う程度の全国のソーシャルワーカーと今では毎月オンラインで会ってます。オンライン会議システムがあれば簡単につながれるし、お金もかからないし、以前よりつながりやすくなったと思います。
コロナ禍でオンライン環境が整っていったことで、病院という組織も変わっていったし、専門職として成長できる機会も増えたかなと思います。
──コロナ禍では「そうせざるを得ない状況」になったのが大きいですよね。とくに医療はほかの産業と比較してICT化が進んでいないと言われていますが、本来なら5年かかるかもしれないことがここ1年でガラっと変わった印象です。
そうですね、間違いなくコロナによって変わったと思います。うちの病院では外来にAI診断を導入しようという動きもあります。そういった技術に対する抵抗がなくなったんですね。
実際、病院にいると大変なことのほうが多いし、コロナ禍で苦しんでいる患者さんも目の当たりにしているんですが、こういう変化があったことはポジティブに捉えています。

──そのほかに患者さんに与えた影響などはありますか?
今*でこそ新型コロナウイルスについてはいろいろなことがわかってきて、ワクチンの接種も進んでいますが、昨年の3月とか4月は「正体不明の感染症」だったので、不安に感じている患者さんが多かったですね。もちろん感染症対策で面会謝絶だったので、家族に会えないことが一層その気持ちに拍車をかけていたと思います。
そこで、コロナ禍でオンライン化が進んだこともあり、タブレットを使って面会できるようにしました。従来なら「面会ができなければ電話で」という対応が普通ですし、理想を言えば直接会って触れ合うことが大事だとは思うんですが、顔が見えることの重要性を感じました。タブレット越しでも久しぶりに顔を見て涙を流される患者さんやご家族の方もいたので……。

「感染症対策のために会えません」じゃなくて、できることを模索することが大事なのかなと。「AかBか」「会えるか会えないか」ではなく、その中間点がないのか模索すること。とくにこのコロナ禍でつながりが失われて不安を感じている患者さんが多いなか、医療ソーシャルワーカーにはそういったサポートが求められていたし、また実際にやってきたことなのではないかなと思います。
──ちなみに“診療控え”もあったのでしょうか?
もちろんありました。全国的に同じだと思います。感染者数が増えると受診者数が減りましたね。
──給料への影響は?
ニュースでは給料やボーナスがカットされる病院もあると聞きますが、当院は公立なので影響はありませんでした。
──ワクチン接種は完了しましたか?
2回接種完了しています。(2回目の接種から)1ヶ月以上経ちますかね。ただ、同じ九州でも私が2回目の接種を終えた時点で「これから1回目の接種を控えている」という医療関係者もいたくらいなので、かなりばらつきがあると思います。ただ、ワクチンを打ったからといって以前のように自由に行動できる状況ではありませんけどね。
“ソーシャル”ワーカーなのに“社会”から認知されていない
──そもそもNさんがソーシャルワーカーになったきっかけはなんだったんでしょうか?
お恥ずかしい話なんですけどいいですか(笑)。
私は小さい頃から誰もが一つは持っているような、走るのが早いとか歌がうまいといった特技がなくて、高校生になって進路を決める時期になっても「将来なりたいもの」がありませんでした。今思えば、夢を語れるほど自分に自信がなかったんでしょうね。
結局、進学先も親に勧められるまま福祉系の大学に進みました。その頃は「これから高齢化が進むから仕事に困ることはないだろう」くらいの気持ちでした。

大学でも遊んでばかりいたんですが、3年次に実習先の高齢者施設で入浴介助をしていたら腰を痛めてしまって……。
──介護あるあるですね……。
そうなんですよ。それまで漠然と「福祉=介護」だと思っていたんですが、「介護を一生の仕事にするのは自分には難しいな」ということに気がついて、そこで初めてソーシャルワーカーになることを真剣に考えたんです。
介護の仕事に就いている方のことは今でもリスペクトしています。体力だけではなく介護技術も必要ですし、すばらしい職業だなと。ソーシャルワーカーの仕事は相談業務が中心だから、介護職のように相手に直接触れる機会がほとんどありません。でも直接触れることなく相手を幸せにできるソーシャルワーカーってめちゃくちゃかっこいいなと思いました。病院の場合はとくに“触れる”医師や看護師と、“触れない”ソーシャルワーカーで棲み分けがはっきりしていたので、病院のソーシャルワーカーになろうと思いました。
ところが、地元の病院にソーシャルワーカーの求人がないんですよ(笑)。生まれてから地元を離れたこともなければ離れるつもりもなかったんですが、県外の病院に「地域医療連携室立ち上げに伴い医療ソーシャルワーカーを1名採用する」という求人を見つけて飛びつきました。親からは「縁もゆかりもない土地で即戦力にならない学生が採用されるわけがない」「ガソリン代がもったいない」と反対されましたが、結果は採用。
これはあとから聞いた話ですが、応募倍率は数十倍でその中には当然ベテランのソーシャルワーカーも含まれていたのですが、当時の看護部長が「この病院で初めてのソーシャルワーカーなんだから何にも染まっていない人がいい。この病院で一からソーシャルワーカーを育てたい」と言ってくれたそうなんです。こういうことがあるから人生出会いだなと思います。

入職してみると、地域連携“室”と言っても職員の中にソーシャルワーカーは私一人なので医事課の隅っこに机があるだけ。そもそも当時の地域連携室は「病院と地域のかかりつけ医をつなぐ」のが目的で、相談業務が仕事ではなかったんです。だから最初の3〜4ヶ月はひたすら周辺の診療所にFAX。その間「ソーシャルワーカーに関わってほしい」と声がかかることはありませんでした。
そもそもソーシャルワーカーがなにをするのか誰も知らないんです。数ヶ月後に初めて病棟に行ってカルテを見ていたら「なんでソーシャルワーカーがカルテなんか見てるんですか?」って聞かれたくらいで(笑)。“ソーシャル”ワーカーなのに“社会”から全然認知されてないじゃん! って自虐的に思いましたが、ここで「N君要らない」と思われたら「ソーシャルワーカー要らない」ということになってしまうとさすがに危機感を抱きました。
実際のところソーシャルワーカーがいなくても退院支援業務は回っている状態でしたし、病院は専門職の集まりなので、「こんなことができます!」と自ら発信しないと見向きもされません。そういう厳しさがあったからこそ「ソーシャルワーカーを知ってもらうためにどうすればいいか」と考えることができました。
周囲を見回してみたところ、当時は介護保険制度が始まって間もなかったので、病院にやって来るケアマネさんがどんなことをしてくれる人なのか、どのように頼ればいいのか看護師さんはよくわかっていない。それなら介護保険制度をテーマに勉強会をすれば関心を持ってもらえるのではないかと思いました。勉強会の最後にはいつも「こういう困ったことがあればソーシャルワーカーにご相談ください」と伝えて、そういう地道な積み重ねで信頼関係を築いていきました。
そんななか退院支援でソーシャルワーカーが必要とされるようになる大きなきっかけとなった出来事がありました。当時から社会的入院*が問題になっていて、その病院にも入院が長期化している患者さんがいました。随分前の話なので詳細は忘れてしまったのですが、ソーシャルワーカーとして地域の情報をキャッチして、患者さんやご家族が自宅で安心して生活できるように環境を整え、ついにご自宅に戻れたときに周りの見る目が変わったというか、ソーシャルワーカーとして信頼を得た感覚がありました。
いまだに当時の師長さんに会うと「あのケースがきっかけで『困ったことがあればN君に相談すればいい』という認識が病院全体に共有されたわね」と言われるんですが、その結果6病棟300床を一人で担当することになりました。今思うと信じられませんが(笑)「どこにいるかわからないので」とピッチ*も持たせてもらえましたし、「誰でもいつでも相談しやすいように」と事務所の一番奥にあった地域連携室も入口の近くに移動してもらえました。
日米のソーシャルワークの違い
──たった一人で病院全体にすごい変化をもたらしたんですね。
病院にはいろんな専門職がいるからこそソーシャルワーカーの専門性とは何なのか? と考えるきっかけになりました。もちろん「大学で福祉を4年間学んだ福祉の専門職だ」という自負はあったんですが、ソーシャルワーカーが関わることで患者さんにどのような幸せをもたらしたのか、どんな効果があったのかをきちんと言語化できるようになりたいと思い、働きながら大学院に通うことにしました。そこからアメリカに留学もして──。
──海外のソーシャルワークと日本のソーシャルワークはどう違いますか?
アメリカのソーシャルワーカーは基本的に修士クラスなので勉強や討論をより深くおこなっています。専門職としての能力が高い分プライドも高いです。また日本の社会福祉士とは異なり、アメリカのソーシャルワーカーは更新制なので、常に学び続けなくてはならない仕組みができています。
人は変わりませんが、社会はすごいスピードで変化します。問題もどんどん複雑化しているし、自分の今持っている知識や技術が最善かと言われるとそうではないので、社会に合わせてアップデートし続けなくてはなりません。
そういうところがアメリカはシステマティックになっている。社会的な認知度も高く、みんながソーシャルワーカーのことを知っています。消防署にも刑務所にもソーシャルワーカーがいますし、ソーシャルワーカーから議員になる人も多いんです。ソーシャルワーカーとしてミクロで関わった経験を活かして、社会の課題を解決するためにマクロで政策を展開しています。

また日本と比べるとエビデンスや理論がしっかりしています。福祉分野はどうしても専門性が見えづらいのですが、その点アメリカではなんとなく支援するのではなく、根拠をもって実践し、その結果クライエントにどのような幸せをもたらしたのかを成果として公表しているんです。マスター(修士)のソーシャルワーカーにはそれを科学的に伝える力があるし、マスターでなくても大学や職能団体と連携することで研究成果として社会に還元しやすい仕組みができています。
だからといって日本のソーシャルワークが劣っているわけじゃないとも思いました。例えばアメリカだと自分の業務範囲内か範囲外か、勤務内か勤務外かで割り切って判断する傾向があるなと感じました。その点、日本のソーシャルワーカーは良い意味でもっと泥臭く親身になって支援していると思います。
ソーシャルワーカーは諦めが悪い
──もともと夢や目標もなかったところから、地元を離れる気もなかったところから、ソーシャルワーカーになったことでずいぶん遠くまで旅をできたんですね。
本当にそう思います(笑)。高校や大学の同級生から「めちゃくちゃ変わった」って言われますし自分でも自覚があるんですよ。
──具体的にどう変わったと思いますか?
もともと熱量がそんなにあるタイプじゃなかったんですが、ソーシャルワーカーという仕事を通してとことん最後まで追求するようになった、諦めなくなりました。
ソーシャルワーカーという職業のいいところは諦めないところ、諦めちゃいけないところなんですよ。「今はこういう制度しかないから無理だね」「身寄りがなくて助けてくれる人がいないから無理だね」と言い訳できない職業なんです。なければ作っちゃえばいいんだから、社会を変えなきゃいけないんだから。そこまでが仕事なんです。
──「できない」と言えないのは厳しい部分でもありますね。
そうですね。本当にもっとがんばらなくてはいけない、やらなくてはいけないことがたくさんあると思います。
恥ずかしい話、ソーシャルワーカーはそもそも「知られていない」という意味で、スタートラインにも立てていないのかもしれません。
相談に乗った患者さんから「もっと早く出会いたかった」と言われることがあります。相談するだけでずっと抱えていたつらさが軽くなって、こんなことならもっと早く知りたかったと。
病院は所詮ハコモノなので、患者さんが自ら来てくれないと救えないんですよ。だからとにかく病院にソーシャルワーカーがいると知ってもらわなくてはダメだと思いました。伝えるために必要なこと。それは自分の仕事が何なのか、アイデンティティが何なのか自分で語れないとだめだと思いました。なのでアウトプットとインプットの両方を大事にしています。

それからもう一つ忘れられないエピソードがあります。
医療ソーシャルワーカーになって10年目の頃「急患が亡くなりそうなのだが身寄りがないようなので支援してほしい」という依頼が入りました。携帯電話に保存されていた連絡先から20年以上絶縁状態だった実のお姉さんに連絡を取ることができたんです。
私は関東からはるばる来てくれたお姉さんを迎えて、葬儀と火葬にも立ち会ったんですが、そのときお姉さんがふと「うちの弟はラッキーだったわ」とこぼしたんです。
その方は倒れた場所が喫茶店だったので、すぐに救急車を呼んでもらうことができました。たくさんある病院の中からたまたま私のいる病院に運びこまれました。たまたまお姉さんと連絡を取ることもできました。すべて偶然なんです。
お姉さんはもちろんこの偶然に感謝していい意味で言ってくれたんですが、私はラッキーじゃだめだ、偶然じゃだめなんだと思いました。
たった一人の医療ソーシャルワーカーとして就職して、周りの人に支えられながらたくさんの経験を積ませてもらって“個人”としてのスキルは上がっていましたが、自分ひとりが頑張ったってだめなんだと思い知らされました。どこの病院に行ってもクライエントが医療ソーシャルワーカーから専門性の高い支援を受けられるようにしなければならないし、そのための仕組みがもっと必要だと強く実感しています。
──実際、医療ソーシャルワーカーの数は足りていないんでしょうか?
足りていないと思いますよ。もっと面接や相談支援に時間をかけたいと思っている医療ソーシャルワーカーはたくさんいると思います。今ではほとんどの病院に最低一人は医療ソーシャルワーカーがいますし、一定の質も担保されていると思いますが、どれだけの人数を配置するか、どこまで支援するかの判断にはばらつきがあります。
コロナ禍はいつか終わるが、コロナ禍で得たものはずっと残る
──最後にこのコロナ禍を通じて感じたことはありますか?
コロナ禍では制限があるからこそ何を大事にすべきかということを考えさせられたなと思います。
私の場合それが人とのつながりで、コロナ禍で人と直接会えなくなったときにそれを解決する手段がオンラインだった、というだけなんです。でもコロナ禍はいつか終わりますが、オンラインを通じてできたつながりはずっと残ります。オンラインで出会った人とリアルで再会したとき、そのつながりはより強いものになるんじゃないかなと思っています。そう思うとコロナで得たもののほうが大きいのかもしれません。



コロナに限らず、人は誰しも生きていたらいろんな困難にぶち当たっているはずなんです。仕事をしていたら思い通りにならないこと、悔しいこと、いろいろありますよね。でもそういう体験を乗り越えて今日まで生きているじゃないですか。壁にぶつかって乗り越えて、また別の壁にぶつかって乗り越えて。人は困難にぶつかっても必ず乗り越える力を持っているんですよ。
ただ、困っている当事者は自分が困難を乗り越える力を持っていることに気がつきにくいのでソーシャルワーカーは──専門用語では「エンパワメントする」と言うのですが──その人に本来備わっている力を引き出せるように援助します。
援助といっても、なにかをしてあげるんじゃないんです。最終的にその人が自分で自分を引き上げている感覚を実感できるように、自分の力で生きているんだ、幸せなんだって感じられるようにする。
そういう仕事なので、コロナに限らず人にはピンチを乗り越える力があるという考えが常にありますね。
──うーん……なるほど……! 今日は本当に幅広く話を聞かせてもらいありがとうございました。
私のほうこそ今日はありがとうございました。普段は人の話を聞くのが仕事で、自分のことをこんなに話す機会もないので、いいケアになりました(笑)。