
鈴ノ木ユウ
1973年、山梨県出身。
中華料理屋の長男として生まれ、幼少期からチャーハンを作り続ける。大学卒業後はロックスターを目指していたが、突然漫画を描くことを思い立つ。2007年『東京フォークマン/都会の月』が第52回ちばてつや賞一般部門準入選。2010年『エビチャーハン』が第57回ちばてつや賞一般部門入選と同時にモーニング初掲載。2011年『おれ達のメロディ』を短期集中連載。『コウノドリ』(全32巻)は2012年8月の短期集中連載の時に大好評だったため、2013年春、週刊連載となり戻ってきた。
主人公のモデルは実在する人たち

──主人公の鴻鳥サクラは児童養護施設育ちの産婦人科医で天才ジャズピアニストという、さまざまなバックグラウンドを持っています。このキャラクターはどんな経緯で生まれたんですか?
鈴ノ木ユウ:妻の幼なじみが大阪のあいりん地区で産婦人科の先生をやっていたんです。あの地域は未受診妊婦や、子どもを産んで置いて行ってしまう人が、以前は少なくなかったらしいんですよね。
置いて行かれた子は乳児院に入ると聞いたんですけど「乳児院って何?」ってなって。僕の知識だと『タイガーマスク』に出てくる孤児院のイメージで。
聞けば子どもたちは3歳までその乳児院で生活して、その後児童養護施設に入り、18歳になったら施設を出るんです。なので鴻鳥サクラもその設定にしました。

──実際に聞いた話を背景として取り入れたんですね。では主人公を天才ピアニストに仕立てた理由は?
うちの息子を取り上げてくれたりんくう総合医療センター(以下、りんくう)の荻田和秀先生がピアニストだったので、鴻鳥サクラもピアニストにしました。
最初は売れないミュージシャンが産婦人科の先生をやっている設定だったんですけど、当時の担当者に「鈴ノ木さんがミュージシャンとして売れてないんだからさ、光を見せてやろうよ」って言われて、それもいいか! ということで謎の売れっ子ミュージシャンにしたんです。
共感してほしいわけじゃない、知ってほしいだけ

──妊娠・出産というデリケートなテーマを描くのは難しかったと思います。セリフや描写を考えるうえで意識していたことはありますか?
症例があったときはそれを崩さないことと、医療的なものを正確に伝えるべきだなと思っています。
あと、連載を始める前に『誕生死』(三省堂)というエッセイを読んだんです。子どもを亡くした両親たちの声を集めた本なんですけど、そういう人たちが『コウノドリ』を読んだときに「そうそう、こういう気持ちなんだよ」って思ってもらえるものに近づけたいなと。共感してほしいわけじゃない、ただ知ってほしいだけなんだよねっていう感覚で描けたらいいなと思っていました。
ネーム(マンガを描く前のコマ割りやセリフ)を作るときは、この話し方でいいのか、この答え方でいいのか、この選択でいいのか……とか、疑問を感じながら作っていました。
──疑問を感じながら試行錯誤していたんですね。
最初はね、無脳症シリーズの短期連載だったんですよ。そのときに編集長から「これは載せられない」ってボツをもらったんです。


無脳症とわかった家族がその子を出産して看取るという話なんですけど、その子は生まれて数時間、ひょっとしたら数分で亡くなってしまう。でも旦那さんは、出産というリスクを負わせてまで奥さんに産んでほしいと思うのか。
無脳症シリーズはボツをもらったあとに4パターンくらい作ったんです。出産する・しない、きょうだいがいる・いない、とか。一つの答えに疑問を持つことができたから連載につながったのかなと思います。
──パターンを絞り出す鈴ノ木さんもですが、可否を下した編集長の判断力もすごいです。
これなら絶対に行けると思って提出した話だったんですけど、編集長に呼ばれてダメ出しされて。「直すなら見るけど?」って言われて、漫画の世界も厳しいや……ってなったんです。でも担当の人は「俺はやりたいと思ってる」って言ってくれたんで、「じゃあやりますか」と。
──担当者の後押しがあったから、今続けられているんですね。
基本的に一人じゃ何も決められないんですよ(笑)。奥さんが決めたことをやってみる、担当さんが決めたことをやってみる。やってみないと何が良いのかわからないので、とりあえず最初はやってみる、ですね。
理想の鴻鳥先生、現実の四宮先生
──医療現場や医療従事者を取材されることが多かったと思います。実際に見聞きするなかで驚いたこと、イメージと違ったことなどありますか?
実はお医者さんがすごく苦手だったんですよ。堅くて上から物をいうイメージがあって。でもフレンドリーで良い人が多いんですよね。
妻が「東京の医者は健診の待ち時間がすごく長いのにそっけないし、あっという間に終わる」って言っていて。その話を他の産婦人科の先生にすると、何も心配することがないからあっという間に終わるんだと言うんです。本当は一人ひとり時間をかけて丁寧に説明したいという人がほとんどでした。
とにかく周産期医療の先生はみんな熱い。じゃあそれを漫画にすればいいと思ったんですよ。
──産婦人科の先生たちが本当にしたいことを鴻鳥サクラがしているんですね。
そういう見方ができたらいいなと思います。妊婦さんって聞きたいことがいっぱいあるけど、ゆっくり話を聞いてもらえる時間がないから不満が募るんですよね。それをちょっとでも解消できればという気持ちもありました。
ただ時間をかけると病院が回らないんですって。だから鴻鳥先生のような丁寧な健診の仕方だと終わらない(笑)。
──鴻鳥サクラとの対比というか、産婦人科医のリアルな姿が四宮先生なんでしょうか。

最初はそんな感じでした。真面目に仕事をこなそうとする延長線上で冷たそうに見えてしまう、四宮先生はそんなイメージで登場させました。ちょっとトガりすぎましたけどね。
──冷徹マシーンのような四宮先生も、最終的には人間味のある一面を見せてくれますよね。では、実在する妊婦さんをモデルにすることはあるんですか?
ほぼないです。話を聞いてしまうと、その人を描かなければいけないと思っちゃうし、読んだときに嫌な気分にさせちゃったらどうしようとか、余計なことを考えてしまうんです。なので自分のイメージで描くようにしています。
ただ、知り合いの助産師さんからろう者の方を紹介してもらって話を聞きました。耳が聞こえないなか、どう出産に挑んだのか想像できなくて。

──NICUも取材したと思います。どんな様子なんですか?
NICUは神奈川県立こども医療センター(以下、神奈川こども)と宮城県立こども病院、あとはりんくうに行きました。NICUも病院によってぜんぜん違いますね。
──印象的な出来事はありましたか?
神奈川こどもの豊島勝昭先生の話が目から鱗でした。子どもが病気のときって「こういう治療をしたほうがいい、こうするべき」と提案するお医者さんもいますけど、豊島先生はそうではないんです。まずは患者の両親や家族の希望を聞いて、そうできるように考えてみましょうという方で。
たとえ違う治療のほうが良くても子どもを育てるのは家族だから、両親や家族の気持ちを尊重して、納得してもらったうえで治療するそうです。そうしなければ結果として子どもは幸せになれないと。
そんな“家族に寄り添う対応”をみたとき、NICUの先生はほかの先生とはちょっと違うんだなと感じました。

──いち読者として気になったことがありまして。本編最後のテーマが白血病だったのがなんだか意外に感じました。白血病を公表したアスリートを意識したんですか?
いえ、それは違います。最初は胃がんをテーマに考えたんですけど、大抵のがんは妊婦健診で見つかるんです。じゃあ鴻鳥先生が健診で見落としたものがいいなと思って荻田先生に聞いたら「血液系の病気、白血病はどうかな」と言われて白血病を描いたんです。
新型コロナウイルス編を執筆 きっかけは女子大生?
──この7月に『新型コロナウイルス編』が完結し、8月に単行本が発売されます。現実でもいまだ終息の兆しは見えていませんが、コロナを描くことになったきっかけはなんですか?
ある日、女子大生が取材に来たんですよ。そのときは何も描いていない時期だったんですけど「次に何か描きたいものはあるんですか?」と聞かれたんで「今コロナで大変なので、いつかコウノドリ コロナ編でも描けたらいいですね」って、ちょっとかっこつけて答えちゃったんです。
その子たちが帰ったあと、その場に同席していた編集部の岩間さんが「じゃあいつ描きますか? 描くなら今でしょ?」って(笑)。
──まさかのきっかけ! それで編集部に迫られたんですね。
第4波(2021年3月〜6月頃)の終わりぐらいにりんくうの荻田先生に「コロナ編を描こうと思ってるんですけど」って話をしたら、協力したいと言ってくれたんです。その頃ちょうど感染状況が落ち着いていたので病院で話を聞きました。

当時は病院ごとに対応が違っていたし、これが正解というやり方もなかったんです。りんくうでは最初、感染した妊婦さんが安全な週数だったら帝王切開となっていたんです。でも荻田先生は最初に感染した妊婦さんを帝王切開して、それ以降はやめたと話していて。
「帝王切開をして母子をすぐに引き離してしまうのはどうなんだ。すぐに帝王切開をせず、隔離生活が終わるまで陣痛が来なければ引っ張ろう。もし陣痛が来たとしてもしっかりと感染対策をして経膣分娩(自然分娩)をおこなおう」となったそうです。
それを聞いて、じゃあ描けるかなと思ったんです。帝王切開が続いている状況だったら描きたいと思わなかったと思うんですよね。
──実際の出産現場に同席したりは?
いつもなら妊婦さんの許可をいただいて立ち合わせてもらえるんですけど、話を聞いた程度です。病院の中はやはりシビアで、歩き回らせてもらえませんでした。
──作品を作るために院内の細かな状況を知る必要がありますよね。

写真は荻田先生があとから送ってくれました。
話を描き始めたらまた感染者が増えてきて、「これ最終話どうなるんだろう……」ってなって。そうこうしていたらオミクロン株も出てきて、描くのを断念しようかと思いましたよ(笑)。
お医者さんを支えている人を描きたかった
──新型コロナウイルス編で個人的に印象的だったのが、助産師・小松さんの立ち回りでした。コロナ感染病棟に看護師として入ったり、倒れて夢を見る重要なシーンがあるなど、全体の軸になっていると感じました。最初から彼女をフィーチャーしようと決めていたんですか?
小松さんは好きなキャラクターだし、助産師さんにフィーチャーしたいと思っていたんです。家庭がある人もいるし、家族と離れている人もいる。そういうお医者さんを支えている人たちを描きたかった。言い方が合っているかわからないですけど、お医者さんより不安だと思うんですよね。

マンガには描けなかったんですけど、ある看護師さんが新型コロナウイルスでお婆ちゃんと両親を亡くしてしまって、それを自分のせいだと思ってしまっているという話を聞いたんです。すごく過酷な仕事ですよね。そういう人たちに光を当てるとしたら小松さんかなと。
──なるほど!ジョブメドレー読者にもコロナの現場で戦っている方々がいると思います。鈴ノ木さんからエールをいただけますか。

世間と医療サイドの温度差に不満を感じていると思うんです。世の中はどんどんwithコロナの流れになっているけど、その皺寄せは確実に医療に来ていて。
そういうことが改善されればよいなと思いつつ、なんというか…………たまに休んでほしいですね。人間として責任感が強いとバーンアウトしてしまう、そういう人が多いと思うんですよ。医療というものに厳しいのはいいと思うんですけど、自分という人間に甘くていい部分はあってもいいかなと。だからちょっとは自分に甘い時間を作って、乗り越えてほしいなと思っております。て、お前が言うなよみたいになりませんか?(笑)
