大学で社会福祉士の資格を取得し、卒業後は医療ソーシャルワーカーとして、病院で患者やその家族の相談対応や入退院の調整をおこなっていたというSさん。
将来のキャリアを見据え、保育士やケアマネジャーなどの資格を取得するなど、着実に歩みを進めてきた矢先に、うつ病を発症します。休職を余儀なくされたSさんは、これまでの支援する立場から一転、支援を受ける側へと変わりました。
さまざまな医療・福祉サービスを受けるなか、たくさんの葛藤も経験し、現在は一般企業での復職を果たしています。支援を提供する立場と受ける立場、ともに経験したSさんの言葉からは、支援に立ちはだかる壁と寄り添いの本質が見えてきました。
初めての福祉で実感した自分の役割

高校時代に父親が家を出て、両親の離婚を経験したSさん。突然の環境の変化に心が不安定になったとき、スクールカウンセラーや教師が親身に話を聞き、進路相談にも乗ってくれたといいます。
「話を聞いてもらうことで少しずつ前を向けるようになりました。その経験から、今度は自分が“支える側”になりたいと思うようになったんです」
カウンセラーは話を聞く役割が中心というイメージがあったため、困っている人に具体的な解決策まで示せる職種として、社会福祉士に惹かれたといいます。
大学在学中に社会福祉士資格を取得し、新卒で地元にある総合病院に医療ソーシャルワーカーとして入職しました。社会福祉士として働ける場は、行政や福祉施設、医療機関などさまざまですが、Sさんが病院を選んだのは、病気の人や高齢者、障がい者、乳幼児などさまざまな人と関われる環境に魅力を感じたからです。
急性期から慢性期の病院での勤務を経験しながら、保育士資格も取得。5年間で幅広い患者層を支援してきました。
とくに、印象に残っているのは、コロナ禍での面会調整でした。患者に直接会えない家族からSさんに「本人の意思がわからない」「自宅か施設どちらで暮らすべきかわからない」という相談が入ります。
看護師長に掛け合い、面会を実現。短い時間でしたが涙を流して喜んでいる家族の姿を見て、自分の役割を実感したといいます。
「できることは小さくても、誰かと誰かの間に入って動く、これが医療ソーシャルワーカーなんだとそのとき気づいたんです」
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キャリアを広げるための転職でうつ病に
その後、結婚を機に上京することになったSさんは、転職先として訪問診療クリニックを選びます。
「病院では、入退院前後の相談対応が中心でした。退院すると関わりが途絶えてしまうので、継続的に患者と関われる職場で働きたいと思ったんです」
新たな職場で医療ソーシャルワーカーは、Sさんと同僚の2名体制。ほかのスタッフは訪問業務に出ていることが多く、Sさんは相談業務以外にも、利用案内、契約業務、医薬品の卸先の選定など幅広い業務を担うようになりました。
「マルチタスクが求められ大変でした。ですが、慣れてくると、ケアマネ試験に向けた勉強時間を確保できるなどの余裕も生まれました。試験には無事合格し、自信にもつながりました」
土日休みで職場も徒歩数分圏内。入社半年ごろまでは順調に仕事を続けていたといいます。ところが、資格取得を目指す同僚が休職したことで、状況は一変します。
2人分の業務がSさんひとりに集中。退勤後も毎日4時間は持ち帰り仕事を続ける日々に。過労は気づかぬうちにSさんの心にも影響し、徐々に業務中に同僚の話が頭に入らなくなり、ミスも増えていきました。
「いま考えるとうつの症状が始まっていたんだと思います。一番つらかったのは、職場の看護師が私ではなく、休職中の同僚に業務相談をしていたことです。このころから職場を思うと、喉の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われるようになりました」
上司に業務量の相談をしようとした矢先、新型コロナに感染。結婚前後から過食傾向があり、精神科で治療を受けていましたが、療養中は常用していた薬が飲めず、うつ症状が一気に悪化していきました。
体が回復しても、職場に戻ると考えるだけで心が沈むような感覚があり、外に出るのも難しい状態に。ついに、休職を決意します。

利用者になって気づいた“本当の寄り添い”
休職後、主治医の勧めで提携するデイケアに通い始めたSさん。ここでは、社会復帰を目指したソーシャルスキルトレーニング(SST)を受けたり、再び体調を崩さないための考え方などを学んだりしていました。
やがて、地域ごとに設置されている地域若者サポートステーション(通称:サポステ)にも通うようになります。社会復帰だけでなく、趣味の話など気軽に話せる環境が心地良く、いまでも足を運ぶほどだといいます。
「病気になってから強い孤独感に苦しんでいたので、同じように悩んでいる人がいることや、自分の居場所があることが心の支えになりました」
休職中に不安だった“お金”の面では、傷病手当や自立支援医療制度(精神科に限り医療費が1割負担になる制度)を利用しました。
これまでの業務経験から、制度の存在や申請方法を熟知していたSさんですが、いざ利用する立場になると、想像以上にその壁は高かったといいます。
「うつ状態だと体が重くて外出するのもままならないのに、窓口に行かなければ申請できないのが本当につらかったです。担当者の言葉遣いも、まるで子どもに話すようでショックでした」
さまざまな制度や施設を利用するなかで、Sさんは復職を意識し始めます。前職での環境や対人業務への不安から、障害者雇用枠での就職を検討。精神障害者保健福祉手帳は、初診日から6ヶ月以上経過していれば申請が可能です。Sさんも、通院から1年が経過していたため、申請に踏み切りました。
しかし、その裏で葛藤もあったといいます。
「名前の横に“障害者”と書かれた文字を見るたびに、これまでの自分が消えてしまったような気持ちになるんです。手帳を取得して半年が経ったいまでも、この現実に少しずつ向き合っている最中です」
支援する立場から支援を受ける側になったことで、Sさんのなかに新たな気づきが生まれました。
「支援を受ける人の気持ちは、頭では理解していたつもりでした。でも“本当の寄り添い”は、もっと繊細なものなんだと気づきました。相談に来た人に『暑くなかったですか?』『遠いところありがとうございます』の一言があるだけで、どれだけ救われるか今ならわかります。そして、相談者の病気や障がいの受容段階を気にかけるだけでも、より効果的な支援につなげられると思います」
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経験を味方に再び社会へ
障害者手帳を申請してから2ヶ月後、Sさんは一般企業の障害者雇用枠で再就職を果たしました。人事・採用アシスタントという、医療職とは異なる分野への挑戦です。
「障害者手帳の申請から就職活動中は、まるで自分自身を支援対象にしているような感覚でした。心は追いつかなくても、お金や将来への不安に押しつぶされないよう、とにかく前に進むしかなかったんです」
現在の職場は、時短勤務で定期的な面談もあることから無理のないペースで働けているといいます。Sさんは今回の就職を、社会への“リハビリ期間”と捉えこう語ります。
「これまでは、頑張りすぎてキャパオーバーになり、自分の心と体の声に全く耳を傾けられていませんでした。いまは、仕事が人生のすべてじゃないし、例え失敗しても、あとからいくらでも軌道修正できると思っています」