担任の先生に憧れて保育の道へ
──この企画は、保育の仕事から異業種へ転職し、また保育の仕事に戻った方にその理由をお聞きするものです。まずはこれまでの経歴を教えていただけますか?

Sさん:新卒で保育所に保育士として就職し、一度エステサロンに転職しました。それから幼稚園に戻ってきました。

──一度病気で仕事を離れているんですね。ではまず、保育関係の仕事に就こうと思ったきっかけを教えてください。
子どもの頃に通っていた幼稚園の先生がきっかけです。私は引っ込み思案な性格で、友達の輪の中になかなか入れなかったとき、幼稚園の先生が後押ししてくれたのが印象的で。私も先生みたいな人になりたいなぁって、なんとなく思ったんでしょうね。それでいつの間にか幼稚園の先生を夢見るようになったという感じです。
──それで大学は保育関係に進んだ。
進路相談や大学を探すときも保育学科がある学校を調べていて、短大に進学して保育士資格と幼稚園教諭の免許を取りました。最初の就職先は地元の保育所でした。家の近くだったので、募集を見つけてすぐ面接に行きました。
──1つ目に受けた保育所に合格したんですか?
いえ、1つ目の保育所は面接で落ちて、次に受けたところに合格したんです。私ピアノが苦手で、最初の保育所はピアノ面接で落ちてしまったんです。2つ目はピアノ面接がなくて、豆をお皿からお皿に移すだとか、簡単な受け答えだけだったので合格できました。
──ピアノが苦手なのはバレなかったんですね(笑)。
入ってから苦手ですって告白しました(笑)。
──就職してすぐにクラスを受け持ちましたか?
2歳児クラスを持ちました。3人の先生で18人の子どもをみていましたね。2年目の先生1人と新卒2人だったので、もう毎日必死で。あとから聞いたんですけど、私が入る前の年に先生が大量に辞めてしまったらしいんです。
──初めての担任なうえに人も少なくて大変だったでしょう。職場環境や同僚との関係性はどうでしたか?
わりと良かったと思います。先輩は厳しかったですけど、それは保育や子どもたちのためにそうしてくれているという感じでした。陰湿な感じはなかったです。同期は4人でみんないい人でした。ただ、園長先生と主任先生の求めるハードルが高かったんです。

みんなでそこを目指して夜遅くまで仕事していましたし、休みの日も子どもが遊ぶものを作ったり、書き物(子どもの個人記録や一週間の目標と反省を記入したもの)をしたりしていました。仕事が大量にあったのはちょっとしんどかったです。短大出たてで、先輩も2年目だったので保護者対応も大変だったのを覚えています。
旧友との出会いが人生の転機に
──その保育園を9ヶ月で退職されています。何があったんですか?
保育で必要なものを100均に買いに行ったら、たまたま昔の友達に会ったんですよ。その子はエステで働いていて、身の上話なんかをする中で「保育の仕事で疲れてない? エステに来て癒されようよ」みたいな話をされて、エステに通うことになったんです。
行ってみたらエステで働く人がキラキラ輝いて見えたんですよ。「私は毎日汗水流してドロドロになりながら働いているけど、こういう世界もあるんだ」って。
そのうちスタッフの人から「エステで働くほうが向いているよ、保育士からエステティシャンになった人もいるから」と誘われるようになって。それで11月頃に退職を申し出てエステサロンに転職しました。

──エステサロンではどんな仕事をしていましたか?
お客さまの肌のチェックですとか、同僚同士で顔のマッサージを練習してお客さまに施すとか。事務的なことは売上の計算などですね。お金のことなんてやったことなかったんですけど、基礎から細かく教えてもらったのでなんとかできていました。
人間関係も良かったんですよね。裏表ない人ばかりで。上司は厳しかったけど、いい環境だったなと思います。
──その仕事も8ヶ月で辞めてしまったんですよね。
毎月の売上を追いかけるのに苦しくなってしまったんです。初めの頃は頑張っていたから右肩上がりだったんですけど、だんだん苦しくなってしまって「数字を追うの向いていないかも……やっぱり保育の仕事がしたいな」と思えてきて。
──保育の仕事に未練もあった?
ええ、もしも辞めずに続けていたら子どもたちが1学年上にいくのを見られたのにな。辞めなければよかった、子どもの成長をもっと見守りたかったと思えてきたんです。
そんなことを考えていたら、憧れの先生が頭に浮かんで「そうだ、あんな先生になりたかったんだよな」って思い出して。
──それで気持ちが保育に戻っていったんですね。エステサロンで働きながら転職先を探したんですか?
そのときは仕事を探していなかったし、職場には辞めたいとも言えてなかったと思います。辞めてから仕事を探すんですけど、憧れていた先生が公立の幼稚園の先生だったので、市役所に保育の仕事がないか問い合わせたんです。たまたま9月に幼稚園で空きが出るということで働くことになりました。
8ヶ月ぶりに現場復帰「この子たちと成長しよう」
──8月にエステサロンを辞めて、9月から幼稚園で働き始めました。保育の仕事から数ヶ月離れていましたが、どのような準備をしましたか?
幼稚園の園歌を覚えなければいけなかったんです。なので楽譜をもらってピアノの練習をしました。
──8ヶ月ぶりに保育の仕事をしてみてどう感じましたか?
子どもたちのいる空間って独特の匂いがするんです。それで、保育の現場に戻ってきたなぁと感慨深く感じましたし、この子たちと一緒に成長していこうと思いました。以前受け持っていたのが2歳児クラスで、復帰してからは4歳児クラスだったからできることが違って新鮮でしたね。

──新しい園の職場環境や人間関係はどうでしたか?
園長先生がめっちゃ怖くて。出張でほかの園の先生と話すと「あの園長先生のところで働いてるんですね……」って言われるくらい怖いんです。その分同僚たちのまとまりはよくて、団結して頑張っていました。楽しく過ごせましたよ。
──園長先生が怖いってどういうことですか? 理不尽とか?
厳しい……のはもちろんなんですけど、職員1人にターゲットを絞っていじめるとか、ヒステリーなところもあって。園長先生の考えに沿わない発言をすると怒られたり詰められている先生がいました。
──今でいうハラスメントじゃないですか。それで市内では有名だったんですね。
毎日園長先生の求めるものを探り探り仕事をする、という感じでした。次の日の準備が深夜までかかることもありましたし、園長先生よりも早く出勤しないといけなかったんです。でももう辞められないと思って必死でした。
転勤先で待ち受けていた試練
──その幼稚園では7年くらい働いて、体調を崩してしまったと。
いえ、公立の園なので転勤があるんです。何園か転勤して、行き着いた幼稚園の人間関係がよくなくて。主任の先生に私のアイデアを盗まれたりもしました。
──どういうことでしょう?
おとなしい人だったんですけど、運動会の衣装案とか曲のアイデアをパクって職員会議で発表していて。私はそれを発表しようと思っていたんで、何も言えなくなってしまって……ということが何度かあったんです。
それと、転勤先の園長先生が最初の園の園長先生をあまりよく思っていなくて「あそこの園からきた人はダメなのよ」「だからあなたはダメなのよ」と人格を否定されたり、やろうとすることをすべてを否定されたり。それでどうすることもできなくて、ある日突然幼稚園に行けなくなったんです。
眠れないし、食べることもできないしで病院に行ってみたら、うつ病と診断されました。

──ダメージが蓄積して心が折れてしまったんですね。
子どもたちの前でも叱られていたんです。卒園するまで頑張りたかったけど、もうダメだってなっちゃって。当時の子どもたちが手紙をくれたんですけど、読めなくて。そのまましまって、まだ開けてもいないです。
──その当時のことを思い出してしまうから?
申し訳ないし、読む元気もないからです。子どもたちの前では明るく頑張っていたけど、帰りの車の中で沈んでて。「あのカーブにアクセル全開で突っ込んだら楽になれるかな」とか考えました。
──そんなに追い込まれていたんですね。当時は一人暮らしだったんですか?
いえ、実家暮らしでした。仕事に行けなくなってから親に打ち明けました。楽になりたいということもそのときに言いました。
──両親が支えてくれたんですね。
両親と当時付き合っていた彼氏、今の旦那なんですけど、みんなに支えてもらいましたね。あとは自分の気持ちをわかってくれる同僚や友達には打ち明けました。
──その同僚を通じて退職の旨を伝えたんですか?
その当時の記憶が曖昧なんですけど、年下の先生に連絡して伝えてもらったと思います。あと市役所の人にも連絡したかな。その後市役所の人と園長先生が家に来て、退職の希望を伝えました。園長先生にはそのとき初めて伝えましたね、本当に無理だったので。
うつ病からのリスタート
──それから次の仕事に就くまで、どれくらいの期間お休みされたんですか?
1ヶ月です。
──短っ!
短いですよね。市役所の方から傷病手当金が出ると聞いたので1ヶ月間休暇を取りました。その間は友達や旦那に無理やり旅行に連れて行かされたりして、とにかく外に出ていました。
不思議なもので、辞めたら気持ちが吹っ切れたんです。それで「働かなきゃ!」と思って派遣会社に連絡しました。

──病気はお医者さんに診断されたんですよね?
そう。お医者さんからは袋パンパンの大量の薬を渡されて、「これを飲み終えて元気になったらまた来てください」と言われたんです。でも薬を飲むのは嫌だなぁと思ったんですよ。私がうつ病になるはずがないみたいな。
──1ヶ月の間に周りの人が気分転換してくれて、前向きになったと。
そうですね。それと遊ぶにはお金が要るなとも思いました(笑)。
それから市役所の方から連絡がきて、ほかの幼稚園で空きがあるから戻ってきませんかと連絡があったんですけど、公立に勤めて園長先生と顔を合わせるのが嫌だったので派遣に登録して、私立の保育園で働き始めました。
──仕事はすぐに決まったんですか?
すぐに決まりました。登録して条件を伝えたらすぐに見つけてくれたんです。家から近くて定時で帰れるところ、あとは書き物がないのが条件でした。
ちょっと記憶が曖昧なんですけど、結婚を視野に入れていたから時間に余裕が持てるってことで派遣にしたような気もします。
派遣やパートのメリットは?
──派遣で働き始めてからは穏やかに過ごせていますか?
そうですね、派遣は割り切って働けますし書き物もありませんから。でも仕事を疎かにしているつもりはないですよ。ただ派遣で働いていると、正社員の人と壁を感じることもあります。
──ここ数年の働き方について教えてください。
出産してから派遣を辞めてパートとして働いています。保育所だったり幼稚園の特別支援クラスの担当になったり、パートだけど幼稚園で担任をしたりしました。個人記録などの書き物は家でやらなきゃいけないんですけど、保育の仕事が好きだし、担任も楽しいから頑張れます。

──出産後もいくつかの園を経験しているんですね。
妊娠・出産のタイミングや子どもに合わせて保育所で働いたり幼稚園で働いたりしています。現在は子どもが通っていた幼稚園から声をかけてもらって、担任の保育補助としてパートで働いています。子どもはもう卒園しているんですけど。
異業種への転職で得たもの
──エステを経験したことはSさんの人生にどう影響しましたか?
ぜんぜん違う世界を見ることで視野が広がったのがよかったと思います。こういう世界があるんだ、こんな考えがあるんだということを知れました。
憧れの先生と一緒に働けることはなかったけど、その方が定年されるときに挨拶に行けたんです。先生のおかげで今働けていますと言えたのでよかったです。
──当時のSさんのように保育の仕事を続けようか、辞めようか悩んでいる方も多くいると思います。そんな読者にアドバイスをいただけますか?
辞めようかな、保育の仕事を続けていていいのかなって悩んだら、一度離れるのもいいと思います。履歴書の職歴が増えるのが嫌だと思う人もいると思うんです。私もそうだったから。ある保育所で面接したとき、そこの園長先生が「一度別の世界やほかの園をみてくれた人がいるほうがいい空気が流れるかもしれないし、気にしないで」って言ってくれて。だから気にしなくてもいいと思います。
楽しくないのに続けて、保育の仕事が嫌になってほしくないです。もしかしたら違う仕事のほうが合っているかも知れないし、やっぱり保育の仕事がしたいと思えたら戻ってくればいいだけですから。