介護・福祉の仕事を一度離れた人は、どのようなきっかけで再び現場に戻るのでしょうか。今回話を聞いた西森さんは、訪問入浴介護の仕事を離れて異業種へ転職したあと、介護職へ復職しました。現在は、有限会社ハッピーライフが運営する「ビジョンサポート」で、福祉用具専門相談員として貸与・販売に携わっています。介護の仕事を離れて気づいたやりがいや、復職後のキャリアについて聞きました。
話を聞いたのはこんな人

※この記事は、一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会、有限会社ハッピーライフの協力のもと制作しています。
「車を運転するだけやから」何も知らずに飛び込んだ訪問入浴
──大学卒業後、最初に就いたのが訪問入浴介護の仕事だったそうですね。もともと介護や福祉に興味があったんですか?
西森さん:いえ、まったくありませんでした。学生時代はやりたい仕事もなく、就職活動らしい就職活動もしていませんでした。
卒業が近づいたころ、訪問入浴介護事業所で働いていた友人から、「人が足りない。車を運転するだけやから来えへん?」と誘われたんです。高校時代から仲のいい友人からの誘いだったので、「じゃあやってみようかな」ぐらいの気持ちでしたね。
職場見学もなく、訪問入浴介護がどのような仕事なのかもよく知らないまま入社しました。
──本当に運転だけの仕事だったんですか?
いえ、運転に加えて服の着脱などの介助をしていました。訪問入浴介護は看護師さんと介護職2人の3人一組で利用者さんの家を訪問し、入浴の介助をします。
最初は体力的にきつかったですが、チームで動くのでしんどいことは分担できましたし、2〜3ヶ月で体も慣れてきました。
ただ、休みが少なく、残業時間もかなり長かったため、2年ほどで退職しました。
──労働環境が原因で辞めたんですね。残業はどの程度していたんですか?
朝8時に出勤し、訪問を終えて事務所へ戻るのが19時ごろ。その後、翌日に使う車両が足りなければ、別の事業所まで借りに行かなければなりませんでした。大阪から名古屋まで車を取りに行くこともありましたね。それで、帰宅が23時や24時になることがざらにあったんです。休みは基本的に日曜日だけで、有給休暇も取れませんでした。
──そのような働き方について職場へ相談することは考えませんでしたか?
今の自分なら何か言っていたと思いますが、そこが初めての職場だったので、「おかしい」と声を上げていいのかもわからなかったんです。周りも同じように働いていましたし、それが当たり前だと思っている部分もありました。
介護を離れて気づいた、感謝される仕事のやりがい

──訪問入浴介護事業所を退職したあと、広告制作会社へ転職しています。以前から広告の仕事に興味があったのでしょうか。
いえ、親戚から「人がいなくて困っている会社がある」と紹介してもらったんです。なので、このときも本格的な転職活動はしていませんでした。広告制作会社ではチラシやカタログなどを扱い、営業のほか、手が足りないときは制作も手伝いました。
──実際に制作会社で働いてみて、どうでしたか?
労働環境は良くなかったですよ。朝8時に出勤し、終電で帰れればまだいいほうでした。午前2時、3時まで働き、近くのホテルに自腹で泊まることもありました。それでも手取りは18万円ほどでした。
同僚との仲が良く2年近く続けましたが、みんな将来を考えて辞めてしまい、最後には僕一人になりました。それで働き続ける意味を感じにくくなったんです。
次第に仕事のやりがいについても考えるようになりました。広告は取引先から依頼を受けて作るので、広告の先にいる人がどう感じたのか、どれだけ反応があったのかが見えません。扱う金額は大きくても、言われたものをただ作っているような感覚がありました。
──そこで、もう一度訪問入浴介護を選んだ理由は何だったのでしょうか?
広告制作会社で1年半ほど働いたころから、以前の仕事を思い出すようになっていたんです。訪問入浴介護は、利用者さんやご家族から直接「ありがとう」と言ってもらえる仕事で、当時はそれが当たり前だと思っていました。介護職を離れて、自分は利用者さんの反応を直接感じられる仕事が好きだったんだと気づいたんです。それで、訪問入浴介護の仕事へ戻ることにしました。
──以前働いていた事業所に戻ったのでしょうか?
別の事業所です。復職先はハローワークで探し、知名度のある会社が運営していたこともあり、安心して働けるかもしれないと思って応募しました。
実際、役職に就くまでは週に2日の休みを取れましたし、給料も前の事業所より良くなりました。訪問する地域が限られ、車両も十分に用意されていたので、別の事業所まで車を取りに行くこともありませんでした。同じ訪問入浴介護でも、職場が変われば働く環境は変わるんだと実感しました。
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管理者になって見失ったこと
──復職後は、どのように経験を重ねましたか?
まずは現場職員として働き、サブリーダー、リーダーを経て、34歳で管理者になりました。自分から希望したわけではなく、会社から言われて引き受けた形です。
ただ、管理者になってからが大変だったんです。毎日現場へ出るので、事務仕事を始められるのは訪問から戻ったあとで、残業時間は長くなりました。
その後は、訪問介護事業所の管理者を兼任した時期や、経験のない小規模多機能型居宅介護の管理者を任された時期もありました。
──経験のない事業まで任されるのは大変ですね。管理者としてとくに大変だったことは何ですか?
異動の多さです。訪問入浴介護の管理者をしていた時期は2〜3ヶ月に一度、1年半で8〜9事業所ほどを回りました。
赤字の拠点へ異動し、黒字になるとまた次の事業所へ移る。その繰り返しでした。ただ、2〜3ヶ月で成果が出るものではないので、前の管理者が頑張ってきた結果だと思っています。
異動のたびに、ケアマネジャーさんへ「新しい管理者です」とあいさつします。でも、2ヶ月ほどすると、今度は「管理者が変わります」と伝えなければなりません。ケアマネジャーさんや利用者さんからすれば、「結局、誰やったん?」という感じだったと思います。
──ケアマネジャーさんや利用者さんも戸惑ったと思いますが、西森さん自身もストレスや不満を感じていたのでは?
異動が5〜6事業所目になったころから、自分が何のために働いているのかわからなくなっていました。もともとは利用者さんのために働いていたはずなのに、利用者さんやケアマネジャーさんに顔と名前を覚えてもらったころには異動です。次第に、利用者さんのことよりも売上などの数字をどう改善し、問題をどう解決するかばかりを考えるようになっていました。
訪問入浴介護の仕事を嫌いになったわけではありませんが、利用者さんとの関係を築けないまま、数字や問題の解決だけを求められる働き方を続けることはできませんでした。それで退職することにしたんです。
──退職を決めてからは、どのように会社へ意思を伝えたのでしょうか?
5月ごろに辞めたいと伝えました。その後、部長やエリアリーダーとの面談があり、9月いっぱい働くことになったんです。ところが、退職日が近づいてもなかなか手続きが進みませんでした。
最後はエリアリーダーに、「10月からは何を言われても来ません」と伝え、9月30日付の退職願と退職届を提出しました。会社にも受け取ってもらったので、10月からは別の職場で働き始めました。
訪問入浴から福祉用具の仕事へ
──訪問入浴介護を辞めたあと、福祉用具の仕事を選んだきっかけは?
高校の先輩が福祉用具事業所の管理者をしていて、「営業がいないから、辞めるならうちに来ないか」と声をかけてくれたんです。
福祉用具についてはほとんど何も知りませんでした。訪問入浴介護で関わる利用者さんは寝たきりの方が多く、僕が知っていたのは介護ベッドと車いすぐらいでした。入社前にカタログを渡されて、こういうものをレンタルすると教えてもらった程度です。
入社後は講習を受け、試験に合格して福祉用具専門相談員の資格を取得しました。
──初めて福祉用具の仕事をしてみて、どうでしたか?
利用者さんの反応を直接感じられたし、知らないことを調べて試せるのが楽しかったですね。ケアマネジャーさんから利用者さんを紹介してもらい、本人やご家族と相談しながら、福祉用具の選定から納品まで担当しました。
新しく開拓した地域で、2年間に利用者さんを150〜200人ほど増やすことができました。訪問入浴介護の管理者時代にも営業はしていたので、その経験を活かせた部分はあったと思います。
──訪問入浴介護での営業経験も活かせたんですね。一方、その福祉用具事業所は2年ほどで退職しています。何があったのでしょうか?
入社から1年半ほどたったころ、職場の人が会社のお金を着服していたことが発覚したんです。それで管理者だった先輩が責任を取って退職し、そのあと僕が管理者になりました。
管理者になってからは、入金記録の確認や警察への対応に追われ、本来の仕事にほとんど手が回りませんでした。精神的にも続けるのが難しくなり、大まかな処理を終えて退職しました。
──そこから、現在のビジョンサポートへ転職したんですね。
ビジョンサポートの方からは、前の福祉用具事業所を退職する以前から「うちに来ませんか」と誘ってもらっていたんです。振り返ると、自分で転職先を探したのは、ハローワークで2社目の訪問入浴介護事業所を見つけたときぐらいです。それ以外は友人や親戚、先輩などから声をかけてもらって仕事を選んできました。

──現在も福祉用具専門相談員として働いているんですか?
前職と同じく、福祉用具専門相談員として貸与・販売に携わっています。利用者さんの予定に合わせて訪問し、その合間にケアマネジャーさんのところへ営業に行くのが基本的な流れです。前職ほどではありませんが残業することはあります。ただ、待遇も悪くありませんし、休みもしっかりと取れています。
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介護・福祉の仕事を約20年続けられた理由
──一度離れた時期もありますが、介護の仕事を始めてから約20年になります。ここまで続けてこられた理由は何だと思いますか?
自分自身がこの仕事を楽しいと思えているからでしょうね。自分が楽しいと思うことを続けてきた結果、それが誰かの役に立っていた、という感じです。
やりがいになっているのは、やはり利用者さんから「ありがとう」と言ってもらえることです。その言葉をもらうために頑張っているのかもしれません。
──今後、福祉用具専門相談員としてやっていきたいことはありますか?
もっと多くの利用者さんの生活を改善する手助けがしたいです。住環境や金銭面に制約があっても、自分のアイデアや福祉用具によって、一つでも困りごとを解消できたらと思っています。
──最後に、介護や福祉の仕事を離れ、戻ろうか迷っている人へ伝えたいことはありますか?
そうですね……「また、ありがとうと言われる仕事をしませんか?」と伝えたいです。もちろん、取引先などから感謝されることは、ほかの仕事にもあると思います。ただ、介護や福祉の仕事では、関わった利用者さんやご家族から直接感謝の言葉をもらえるんです。もともとこの仕事をしていた人なら、その感覚を知っていると思います。
今の仕事に物足りなさや違和感を覚えているのなら、もう一度、介護や福祉の仕事を考えてみてもいいのではないでしょうか。
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取材協力:一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会、有限会社ハッピーライフ
一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会とは
豊中市の介護事業者による団体。事業者同士のネットワークづくりや研修、地域住民に向けたイベントなどを通じて、地域の介護を支える活動に取り組んでいます。同団体と株式会社メドレーは、豊中市における介護人材不足などの課題解決を目指す連携協定を締結し、DX支援などの取り組みを進めています。