話を聞いたのはこんな人

新卒で販売職を経験後、介護の世界へ飛び込んだFさん。特別養護老人ホーム(特養)などで経験を積むものの、身体的な負担や上司との関係を理由に一度は介護職を離れ、パン屋に転職しました。しかし、約4年のブランクを経て、ある“運命的な再会”を機に再び介護職へ復職。現在は社会福祉法人愛和会のケアハウスで相談員として活躍しています。
一度は現場を離れたFさんが介護職に戻った理由、そして「定年まで介護を続けよう」と思えるようになった経緯を聞きました。
※本記事は、一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会、社会福祉法人愛和会の協力のもと制作しています。
「こんな仕事もいいな」と介護の世界へ

──新卒ではアパレルの販売職をされていたそうですが、そこから介護職へ進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
Fさん:勤めていた店舗が撤退することになって退職し、失業保険の手続きで職安に行ったのが始まりでした。そこでヘルパー2級(現:介護職員初任者研修)の職業訓練があることを知りました。
ちょうど同じころ、仲の良かった友人のお母さまが最期を迎えるまで、一緒に過ごす機会があったんです。以前からお世話になっていた方で、時間があるときは一緒にご飯を食べたり、体調のいい日には出かけたりして過ごしました。
私が直接介護をしたわけではありませんが、ご自身のやりたいことを大切にしながら過ごす姿をそばで見て、「人と関わりながら、その人の生活を支える仕事もいいかもしれない」と思うようになったんです。その経験と、職業訓練を知ったタイミングが重なり、ヘルパーの資格を取ることにしました。
──資格取得後は、すぐに介護の現場へ入られたのですか?
それが、すぐには働かなかったんです。人の体に触れるのも初めてでしたし、「資格を取ったばかりの自分が、現場で働いてええんかな」「利用者さんとうまく関係を築けるかな」と不安になってしまって。なので、まずは販売のパートをしながらヘルパー1級(現:介護職員実務者研修)まで取得して、しっかり知識を身につけてから、近所の特養で働くことにしました。
──慎重に準備を重ねられたのですね。実際に特養で働き始めてみて、いかがでしたか?
初めての介護だったので、一生懸命に働きました。経験のあるスタッフが優しく教えてくれましたし、利用者さんも穏やかな方ばかりだったので、当初の不安が嘘みたいになじめましたね。
利用者さんが過ごしやすい環境に整え、時には一緒に笑い合うようなこともあって、やりがいを感じられました。
──順調なスタートだったのですね。ですが、約3年でその特養を退職されています。
もともと腰痛持ちだったんですが、働き始めて2年ほど経ったころに、痛みが悪化してしまって……。自分に負担のかからない身体介助の方法を知らなくて、無理な力のかけ方をしていたんだと思います。
痛み止めを飲みながら騙し騙し仕事を続けていたんですが、「このままじゃ一緒に働いているスタッフの負担になって、迷惑をかけてしまう」と思うと申し訳なくて、退職を決めました。
介護が好きだからこそ「もう介護が嫌になった」
──順調だった仕事を離れるのはつらい決断でしたね……。
このときは、せっかく好きになった介護の仕事だったので、まだ諦めたくなかったんです。体への負担が少ない形ならと思って、見守りが中心の高齢者向けマンションや、夜間対応型の訪問介護へ転職しました。夜間の訪問介護は、呼び出しがあったときだけ伺う形だったので身体的な負担が少なかったんです。これらの職場で、合わせて3年ほど働きました。
──「このときはまだ諦めたくなかった」ということですが、このあと、介護職を離れていますよね。何があったんでしょう?
夜間対応の会社にいたとき、上司との価値観の違いにどうしても耐えられなくなってしまって……。利益優先で、利用者さんのことをまったく考えていないように感じたんです。
「利用者さんのために」と思って働いていた分、それがどうしても受け入れられなくて。同僚たちの多くも同じような思いで辞めていきました。これをきっかけに、「もう介護の仕事は嫌!」と思い詰めてしまったんです。

──そこで介護の仕事から完全に離れたんですね。
先のことは考えてませんでしたが、「とりあえず辞めよう!」と。そこからは「パンが好きだからパン屋さんで働こう」という安易な理由で、パン屋に転職して約4年働きました。
掛け持ちした仕事先での“運命の再会”
──4年間パン屋で働くなかで、介護職への未練を感じることはありませんでしたか?
実は、パン屋のパートをはじめて3年くらい経ったころ、収入を増やしたくて別の仕事を掛け持ちで始めたんです。パン屋が終わった夜間や休日にできる仕事を探してみたら、体の不自由な方の見守りや身の回りのお手伝いをするサービスを見つけました。
ご自宅に泊まり込み、「腰が痛いからさすって」「身体がかゆいから掻いて」といったご家族が対応できない時間のお手伝いをする仕事です。
──それって、かなり介護に近い仕事では?
そうなんです、介護保険外の自費サービスでした。やってみたらぜんぜん嫌じゃなくて、「私、またこういう仕事できるかも」と思えたんですよね。
──それがきっかけで、介護の仕事に戻ろうと思ったんですか?
実は、その付き添い先でびっくりな出来事があって。
ある日、利用者さんのお宅にケアマネジャーさんが訪問に来られたんですが、なんと以前の特養で一緒に働いていた同期だったんです! お互い「えぇーっ!? なんでここに居るん!?」って本当にびっくりして(笑)。
──それはすごい引き寄せですね!
ちょっと運命的ですよね? その同期から「今度新しい訪問介護の事業を立ち上げるから、一緒にやらへん?」と声をかけてもらって。この4年間で腰痛も日常生活に問題ないレベルまで回復していたことや、正社員で働きたかったことも重なって、迷うことなく「やるわ!」と返事をしました。

復帰しても「なんとかなる」と思っていたが……
──4年ぶりの介護現場ですね。復職することへの不安はありませんでしたか?
復職するまでは「基本は変わらへんし、なんとかなるやろ!」と高を括っていたんです。でも、いざ初日を迎えて訪問先に行ってみたら……施設と在宅の違いをあらためて感じました。施設なら周りに誰かスタッフが居てすぐに助けてもらえますが、訪問は一人ですべて対応しなきゃいけない。「私一人で大丈夫なんかな!?」と、現場に出てから一気に怖くなりましたね。
──以前にも夜間対応型の訪問をされていましたが、それとは違ったんですか?
以前の仕事は要請があってから向かうので突発的な対応はほとんどありませんでしたし、保険外サービスのほうも見守りやちょっとしたお手伝いだったので、介護の範囲や責任の重みが違うと感じました。今回は要支援から要介護5の方まで居られて、身体介助はもちろん、急変の可能性もあったので。
──不安はどのように解消されていったのでしょうか?
訪問経験のある先輩たちが親身になってアドバイスをくれたり、相談に乗ってくれたりしました。あとはとにかく場数を踏んで、少しずつ慣れていきました。
施設と違って訪問介護は決められた時間だけの介助なので、腰への負担が軽かったのは良かったです。だからこそ、なんだかんだで10年も続けられました。
──10年も続けられたんですね。さまざまな出来事があったと思いますが、とくに心に残っていることはありますか?
在宅でのお看取りの場面に関わらせていただいたことですね。ご本人が苦痛なく最期を迎えられるよう、看護師さんや主治医の先生など外部の専門職の方々と密に連携し合ってサポートできたことは、すごく貴重な経験になりました。
あともう一つ、障がいのある女の子を10年間担当させていただいたことです。
──10年も! お子さんの成長過程を見守られたわけですね。
そうなんです。小さかった子が育っていく姿をすぐ近くで見守らせてもらいました。その子からは「ずっと来てくれるからFさんが一番安心するわ」と言ってもらえたり、お母さまからも信頼していろいろとお話をしていただいたり……長年深く関わってきたからこその関係が築けたことは、本当にうれしかったです。

身体の限界を感じたタイミングで届いた、相談員への打診
──やりがいを持って働かれていた訪問介護でしたが、その後異動されてしまったんですね。
今度は関節の痛みが出てきてしまって、治療を受けながら「ヘルパー業務はあと1年が限界かもな……」と悩んでいたんです。
そんなとき、法人から「ケアハウス(軽費老人ホーム)の相談員として働いてみないか」と声をかけてもらって。身体的にも限界を感じていた時期だったので、ありがたく提案を受け入れることにしました。
──実際に相談員として働き始めてみて、いかがですか?
入退居の対応や外部サービスとの調整など、ヘルパー時代とはまったく違う業務で最初は手探りでした。現場が長かったので体が勝手に動いてしまって、つい介助に入りそうになることもあります(笑)。
同じ施設内に気心の知れたスタッフがたくさんいるので、相談しやすくて働きやすい環境です。
ブランクが怖くても「経験は必ず自分の中に残っている」
──介護から離れた4年間を振り返ると、Fさんにとってどんな期間でしたか?
あの離職期間は、私にとっては必要な時間だったなと思います。離れた期間があったからこそ、客観的にそれまでの仕事を振り返り、「戻ったら定年までここで働こう」と思って復帰することができました。もう、「介護の仕事が嫌」と思うことはないと思います。
──今後の目標や挑戦したいことはありますか?
認知症介護実践者研修を受けたいと思っています。最近は認知症の方が増えているので、専門知識をつけてしっかり対応していきたいなと。人気の研修なのか定員が少ないのか、過去に応募して落ちたこともあるんですが、諦めずに挑戦したいですね。
──最後に、以前のFさんのように一度現場を離れてしまい、復職を迷っている方へメッセージをいただけますか?
私は辞めるときも始めるときも、勢いで決めてきたことが多いんです。心配性なくせに「なんとかなるやろう」という楽観的なところもあって、実際、なんとかなってきたなと思います(笑)。
これまでやってきた仕事の経験は、必ず自分の中に残っています。飛び込んでみて、もしダメだったらまたそのときに考えればいいんです。「なんとかなる!」と思って、まずは気軽に一歩を踏み出してほしいですね。
取材協力:一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会、社会福祉法人愛和会
一般社団法人 豊中市介護保険事業者連絡会とは
豊中市の介護事業者による団体。事業者同士のネットワークづくりや研修、地域住民に向けたイベントなどを通じて、地域の介護を支える活動に取り組んでいます。同団体と株式会社メドレーは、豊中市における介護人材不足などの課題解決を目指す連携協定を締結し、DX支援などの取り組みを進めています。