話を聞いたのは、母親を介護中のYさん
話を聞きに訪れたのは関東地方在住のYさんの自宅。Yさんは現在、87歳になる実の母親と夫と3人暮らしをしています。
突如始まった両親2人の介護
──2015年にご両親がほぼ同時に要介護認定を受けたということで、当時はとても大変だったのではないでしょうか。
Yさん:本当に大変でした。80歳を過ぎても大工として働いていた元気な父に、急にがんが見つかりまして。その時点でステージ4だったので、治療は望めず……。
3回目の検査入院を終えて自宅に戻ってきたら、認知機能が一気に低下してしまって。別人みたいに元気がないし、父は毎日日記をつけていたんですが、ミミズ文字みたいになっている様子を見て、すごくショックでした。
そんな流れで急に介護が必要になり「おむつもなにもないし、どうしたら?」と思って地域包括支援センターに連絡を取ったのが始まりでした。
──地域包括支援センターはどんな対応をしてくれましたか?
それが最初の対応は正直あまり良くなくて……。母も腰痛がひどかったので、父と一緒に要介護認定を受けたいと相談していたんですけど、訪問に来たときには1人分の用紙しか持ってきてくれなかったり、対応が遅くてなかなか進まなかったり。
それで困って区にも相談したんです。そうしたらうまく取り計らってくれたのか、地域のケアマネさんから「うちの事業所で対応しますね」って直接連絡が来ました。そのケアマネさんはとても良い方で、そこからはスムーズに事が進みましたよ。
──その約半年後に、お父さんは自宅でお亡くなりになられたと……どんな半年間でしたか?
肝臓がんって「末期にはひどい痛みを伴う」とも聞いていたので覚悟していたんですが、幸い父の場合はほとんど痛みもなく。認知症は少し進みましたが、もともと穏やかな性格なので大きなトラブルはなかったです。
自分で建てた家で、家族に囲まれて穏やかな最期を迎えることができたので、父にとっては良かったと思ってます。
──当時はどういった職種の方と関わりがありましたか?
デイサービスに少しだけ通ったのと、在宅ではヘルパーさん、訪問診療の先生、訪問看護師さんたちとの関わりが多かったです。
訪問看護師さんにはとても良くしてもらいました。本来は週2回くらいしか訪問できないみたいなんですけど、最後の1週間は毎日来てくれたんです。若くて爽やかな看護師さんで、「私の意思で来ちゃいました!」って言って。父の身体を丁寧に拭いて看てくれて……嬉しかったです。
あとヘルパーさんも。父が亡くなってしばらくしたらお手紙を頂いたんですよ。
──どんな内容だったんですか?
「お父さまが他界されておつらいでしょうけど」って、介護してた私のことを労ってくれるような内容で。そんなに長い付き合いではなかったのに、気持ちのこもったお手紙で嬉しかったです。
父の他界後、間もなく本格化した母の介護は長期戦
──お母さんの介護が本格化したのはいつ頃からですか?
父が他界した2016年から3年間くらいの間、入退院を繰り返してました。腰の痛みが本当にひどかったので検査を受けたら、腰椎を圧迫骨折していたことがわかって。
その頃はリハビリに力を入れたデイサービスも利用していたんですが、「痛い痛い」って言いながらリハビリしていたみたいで……あれは母がかわいそうでしたね。
──痛みがある様子は、見ているご家族もつらいですよね。
そうですね。あとは身体的な痛みだけじゃなくて、少しずつ認知症の傾向も出てくるようになると、一時的にすごい暴言を言われたり。
「早く死にたい」とか「殺してほしい」とかも言うようになって、そういった言葉を実の親から聞かされ続けるのは、正直きついときがありました。
──その言葉は重い……。そういうとき、Yさんはどうするんですか。
うーん、暴言を吐かれたときは、私もついカッとなって言い返しちゃうこともあります(苦笑)。病気のせいっていうのはわかってるんですけど、実の親子ですし、それまでの関係性もあったりで、なかなかすべてを飲み込むのって難しいですよ。
──介護では介護する側の休息も重要だと聞きます。Yさんは息抜きはできていますか?
友人やケアマネさんに話を聞いてもらうことや、好きな音楽の仕事を週1回ですが続けられているのが支えになっていると思います。あとは夫が定年退職してから少しは家事を手伝ってくれるようになったり、近所に住んでいる兄が定期的に母の面倒を見に来てくれたりするのは助かってます。
それから最近は週2回ショートステイを利用していて、母が不在の間は少しほっとできますね。
父と違って、母の介護はもう7年目を迎えた長期戦なので。自分が楽になるやり方も必要ですし、ある程度はのんきに「なるようになる」みたいな気持ちでいることが大事なんだと思います。
──老人ホームなどの施設での生活を考えたことは?
有料老人ホームは高くてとても無理です。それにやっぱり、施設暮らしは母がかわいそうだとも思うので……。今はなんとか自宅で看れているので、まだ大丈夫かなという感じです。
これから先もっと症状が悪化したら、特養(特別養護老人ホーム)を検討したりする必要は出てくるかもしれませんけどね。
悲喜こもごもな介護を通じた出会いと出来事
──お母さんの介護で一番関わりが多いのは、やはりケアマネジャーさんですか?
そうですね。父の頃からずっと担当してくれていたケアマネさんは、6年くらいお世話になりました。途中で小規模多機能型居宅介護に移ったので、そこで担当ケアマネさんが変わるまでは。
すごく優しい方だし、プロ意識も高くて頼りになるケアマネさんでしたよ。うちに訪問するときは、必ず父のお線香をあげてくれました。
──「プロ意識が高い」とはどういったときに感じたんですか?
介護職員さんでも人によっては、母の病状を理解してくれていないなぁと感じることもあるんです。例えば骨折が原因の腰痛なのに、一般的な腰痛のように扱われたりすると、こちらとしてはちょっとガッカリするんですよね。
でもそのケアマネさんはちゃんと母のことを理解してくれていて、こちらの要望や困ったことをちゃんと汲み取ってくれる方で。
あとはうちに訪問するとき、お茶やお茶菓子を出しても絶対口にされないんです。お茶くらいはいいんじゃとも思うんですけどね(笑)。「意識の高い方だなぁ」って。
──反対に「この対応は困るなぁ」という職員さんに出会ったことは?
先ほどの母に対する理解の話じゃないですけど、「もうちょっとこうだったらいいのに」みたいに思うことはわりとあるかもしれません。でも職員の皆さんも忙しくて大変なこともわかってますし、なんでも思いどおりになるわけはないので、ある程度は仕方ないんですよね。
……あ、ひとつ思い出した! 以前、訪問リハビリの方に来てもらっていた時期があるんですけど、ほとんどリハビリもせず、世間話して終わりみたいな方には困りましたね。
──ええ、そんなことが?
はい。訪問時は私が不在にしていたので、帰宅後に「今日はどんなことしたの?」と母に聞いたら「ずっとお話してたよ」と。その後も何度かそんなやりとりが続いたので、例のケアマネさんに相談したら「ちょっと怪しいので、今度リハビリの時間帯に私も訪問してみます」となって。
当日リハビリの様子を見ていたら、いつまで経ってもリハビリは開始せず。ケアマネさんが「いつになったら開始するんですか?」と聞いたら申し訳程度に始まって……そそくさと帰られていきました。それ以来、その療法士さんは来なくなりましたね。
──いろいろなことがありますね……。ほかにも印象に残っているエピソードってありますか?
良い施設だったなぁと思うのは、退院後に2ヶ月ほど入所した老健(介護老人保健施設)でしょうか。施設長の先生がとても良い方で、施設全体があったかい雰囲気でした。
入所中に夏祭りがあったんですけど、「高校の文化祭か」ってくらい本格的な出店や出し物があったりして。行事が本格的だと、入所してる本人も参加する家族も楽しいですよね。
職員さんは母のことをよく看てくれていて。「◯◯さん(Yさん母)は本当に私たち職員にも感謝を伝えてくれるので、私たちも接していて嬉しいんですよ」と声をかけてくださったり。ご迷惑をおかけすることもありましたが、そんなふうに言っていただけて、私も嬉しかったです。
──介護をしていると、いろいろな人との出会いがありますね。
介護を始めるまでは、こんなにたくさんの職種の人が関わっていることも、いろいろな制度があることも知りませんでした。
困ったこともありますけど、ほとんどの職員さんが一生懸命関わってくださっていて……本当に頭が下がります。
──現在の介護制度に要望を挙げるとするならば?
要望はですね、たくさんあります(笑)。
例えば施設の設置数が自治体によってぜんぜん違うところ。うちの区では老健は1ヶ所しかないのに、隣の区では6ヶ所くらいあったりと、偏りがあるんです。
あとは以前はヘルパーさんに依頼できたことが、人手不足なのか利用条件が厳しくなって今は利用できなくなったり……とかですね。
あとはなにより、介護職の人たちの待遇が良くなってほしいです。体力も気も使う、人の命に関わる大切なお仕事なのに、本当に割に合ってないと思いますから。最近は賃上げのニュースも見ますけど、早く改善されてほしいですね。