話を聞いた人
インスタ漫画が人気のキクチさん
普段はデザイナーとして会社に勤めるキクチさん。フォロワー9.9万人(取材時点)のInstagramでは、日常生活を漫画やイラストで発信中。『親の介護はじめました』『20代、親を看取る』などのシリーズで人気を集める。
「まさか自分がこんなに早く?」20代で始まった母の介護
──キクチさんがお母さんを介護するようになった経緯を教えてください。
私が中学2年生のとき(2008年)に母が乳がんになりました。その後寛解していたのですが、2021年の夏頃に「手先が動かしづらい」などの異変が出てきて。検査の結果、がんが脳に転移したことによる脳腫瘍が見つかったんです。
入院して放射線治療を受けても良くならず……。医師から余命わずかであることや、このまま入院していてもコロナの影響で人と会えずに命が終わってしまうことを告げられました。


──想像していたより残された時間が短かったんですね。
父と相談した結果、人と会えずに命が終わってしまうのは悲しいということで、実家で母を最期まで介護することにしたんです。


お父さんと介護に励んだ期間は、2021年末からお母さんを看取った2022年1月下旬まで
──在宅介護をすると決めたとき、どんな心境でしたか?
当時私は20代後半、母は64歳。「まさか自分がこんなに早く親の介護をするとは」と思いましたし、漠然と「どうなるの?」という気持ちがありました。
介護に対する不安というよりは、仕事も繁忙期だったので「どうしよう」って感じで。
──介護中のお仕事はどうしたんですか?
お休みをもらいました。小さな会社なので介護休暇の前例がなかったんですが、柔軟に対応してくれて。
実は「母を家で介護したい」と病院に告げてからは、ほんの数日で退院が決まったんですよ。「え、こんなに早く退院しちゃうの!?」って焦りまして(笑)。慌てて上司に連絡したら「仕事はこっちでやっとくからお母さんのそばにいてあげて」って言ってくれました。


お母さん、お父さんとの年末年始の様子
「良いチームに恵まれた」専門職との関わり
──在宅介護を開始して、さまざまな職種との関わりがあったと思います。
退院して家に着いてからすぐ、ケアマネさんをはじめとした介護チームの方々がズラッと来て「おお、すごいな!」と思いました。


──介護を経験して初めて知るような職種もありましたか?
ケアマネさんとかは「名前は聞いたことあるな」くらいだったんですが、介護福祉士、訪問入浴介護、福祉用具専門相談員などは初めて知りましたね。
とくに訪問入浴は母もすごく喜んでいて、「何回も入りたい」って言ってました。初回では冬至でもないのに本物の柚子を使った柚子湯にしてくれたんです。
──ゆっくりお湯に浸かれるのは気持ち良いでしょうね。専門職でとくに関わりが深かったのはヘルパーさんですか?
そうですね。ヘルパーさんには本当にお世話になりました。でも、最初は不安もあったんですよ。
──というのは?
母が退院する前に在宅介護についていろいろ調べてたんですが、「ヘルパーさんにも合う合わないがある」って口コミを目にしていたんです。なので「ヘルパーさんと相性が悪かったらどうしよう……」と。
──実際にサービスを受けてみてどうでしたか?
ヘルパーさんをはじめとした介護チーム全員、本当に良い方たちでした。ヘルパーさんの仕事を間近で見ていて、親切できめ細やかだなと。
とくにおむつ替えのときにテープをぴっちり留めてくれるヘルパーさんが印象に残っています。母が快適に過ごせるように、そして私たち家族の負担を減らすためにも「絶対漏らさないぞ」ってやってくれていて。「仕事にプライドを持っていてかっこいいな!」と思いました。
──キクチさん自身も、ヘルパーさんから介護のレクチャーを受けましたか?
最初におむつ替えを教えてもらいました。ちょうど在宅介護が始まったのが年末でして。ヘルパーさんたちも年末年始休暇に入ってしまうので、“小”のおむつ替えだけ教わったんです。
ところが、初めて母に「おむつ替えて」と言われたときが“大”だったんですよ。「教わってないよ!?」「でもやるしかない!」って父とてんやわんやしながら頑張りました(笑)。


──思わぬ展開だったんですね。介護において、お父さんとは役割を分担したんですか?
父は70歳を超えているんですがデジタルに強いので、手続き関係をやってもらいました。私は主に介護方法などを調べて父に共有する役割で。介護は2人でも大変だったので、1人でやっている人はもっと大変なんだろうなって思います。
心の支えになったのは、家族以外の人との普通の会話
──介護の大変さから感情が溢れてしまうこともありましたか?
何度もありました。お風呂に入っているときなど一人になると泣いてしまって、「辞めたいな」と考えてしまいました。
心の疲労のピークを実感したのは、自分の家に荷物を取りに帰ったときです。玄関に入った瞬間「あれ、うちってこんなに良い匂いだったっけ?」「うんちやおしっこの臭いがしない」って思ったら涙がブワッと溢れて。自分でもまさか匂いだけで泣くなんてって思いました(笑)。気付かないうちに溜めこんでいたんだと思います。


──そういったつらい時期をどうやって乗り越えたんですか?
パートナーや親友2人に支えてもらいました。
パートナーは毎日ビデオ通話をしてくれて、私を少しでも笑わせようとしてくれました。親友たちには弱音をたくさん吐かせてもらって。「もうダメかも」「つらい」ってLINEで言うと「つらいよね、本当によく頑張ってるよ」って励ましてくれて。この人たちがいなかったら精神的に潰れていただろうなって思います。
──家族には言えないような弱音を吐ける場所があったんですね。
実家にいると会話はどうしても介護のことばかりで。とにかく家族以外と、介護以外の──普通の話がしたいと思っていたんです。会社の上司も気にかけてくれて、すごく忙しいなか他愛のない会話をする時間を作ってくれました。
──専門職の方からも気遣うような言葉がありましたか?
ヘルパーさんや看護師さんから何回も。「無理しないでくださいね、私たちがいるときは休んでてください」とか、「ご家族が無理せず自然体でいられることが、お母さまにとっても良いことなんです。私たちにできることは何でも相談してくださいね」って言葉をかけてくれて。本当にいろんな人が支えてくれましたね。

介護中はよく手を握っていた
良い看取りだったと思えたのは専門職のおかげ
──介護制度を利用してみて「もっとこうなってほしい」と思ったことはありますか?
介護の情報って、良い感じにひとまとまりになってないなと感じました。初心者ブックみたいに、介護を始めるのに必要な情報がまとまってたら良いのになと思います。
あと、介護が便利になるようなグッズは初めに知っておきたかったなと。例えばヘルパーさんに「うんちが漏れちゃって」と相談したら「防水パッド・防水シーツっていう物があるんですよ」って感じで、失敗してから教えてもらうことが多くて。「それ最初に知りたかったー!」と思ったので(笑)。
──確かに必要な情報を早い段階で得られると安心ですね。キクチさんが介護状況を漫画で発信しているのは、自身の経験をいろんな人に知ってほしいという思いから?
というよりは、日記の感覚だったんですよね。自分の人生経験と母の最期を記録しておきたくて描き始めました。
思いのほかいろんな方から共感をいただいて、介護経験者や専門職の方からのコメントも多くて。「励みになります!」とか「こんなにできて立派です!」というコメントが支えになりましたし、結果的に私のインスタが介護に関わる方のコミュニケーションの場になって良かったなと思っています。
──お世話になった専門職の方々へ伝えたいことはありますか?
母の最期を看取ったときに、「やっと終わったな」って気持ちもあったんですけど、それだけで終わらず「良い看取りだったな」って心から思えたんです。それはもう確実に専門職の方々のおかげで、母との思い出を良いものにしてくださって大変感謝しています。
母が亡くなった時点ですべてのサービスが終了したので、全員に直接お礼を伝えることができなかったんですが、できるなら菓子折りを持って一人ひとりに「本当にありがとうございました」って伝えたいくらいです。
──それだけ感謝していると知ったら、専門職の方々も嬉しいと思います。
介護職の方は今、人手不足や低賃金だと言われてるじゃないですか。申し訳ないですがこれまでは、どこか他人事のように思っちゃってたんです。
でも実際に当事者として関わらせていただいて「こんなに素晴らしい仕事はもっと大事にされるべきだ、もっと恵まれてほしい」という思いが強くなりました。処遇などいろいろ改善してほしいなと思います。